2016年 05月 05日
No.3161 5月5日(木):大人が子どもたちに伝えることは何でしょう? |
こんにちは。遠藤です。木曜はプロフェッショナルトレーナー原田一志さんの「間違いだらけのフィットネストレーニング」のアップ日です。
是非、こちらからご覧ください。
さて、昨日は「仕事で悩んだり、苦しんだりする必要なんて1%もありません」と書きました。
もちろん、努力することは必要です。
※共感している「努力不要論」の説明は割愛します。
ただし、これは少年がプロ野球選手を目指して努力するのと同じで「必要な取り組み」という意味です。
そのプロセスで悩んだり、苦しんだりすることは成長に不可欠ですが、大多数の社会人のそれは「他者からの圧迫」により味わうものです。
私はこの必要が「1%もない」と言っているのです。
でも、多くの経営者や多くの上司が「仕事は辛いものだ」という類のことを言っているはずです。
それは何故か?
その人たちが「仕事は辛いものだ」という価値観に支配されて年齢を重ねたからです。
会社に人生の大半を支配されて年齢を重ねたからです。
自分の経験を語っているのですから、ある意味、「仕方ない」ともいえます。
あとは「自分がそうなりたいかどうか」の問題です。
自分が上司になった時に「あのな、仕事は辛いものなんだよ。俺だってね・・」と部下スタッフを諭したい人は、それを受け入れ、信じればいいと思います。
世の中をよく見てください。
そんなことを言っていない人はたくさんいます。
社内だけを見ていてはダメなのです。
今日は「子どもの日」です。
大人が子どもたちに伝えることは何でしょう?
「仕事は辛いものだ」ということなのでしょうか。
「将来は野球選手になりたい」と言っている子どもに「お前では無理だ」ということなのでしょうか。
誰もが「違う」と言うはずです。
では、何故、大人にはそのように言うのでしょうか?
これを「真っ向否定」するには、自分が「違う生き方」をしなければ、そうは言えないはずです。
綺麗ごとではなく、私はそういうことを意識して生きてきました。
「このままでは自分の人生を誇れない・・」
「何故、俺は支配を受けて生きているのか・・」と。
もちろん、こういう経験が私の反骨心(カウンター・カルチャー)につながっていることは間違いありません。
が、せいぜいそれは20歳代、長くても35歳くらいまでだと思います。
それを過ぎて悩んだり、苦しんだりする必要はないでしょう。
仮に人生80年と考えれば、後半戦くらいは徹底的に楽しむべきではないのでしょうか。
それとも人生とはそんなに難儀なものなのでしょうか。
どこかの会社みたいに還暦を過ぎてまで「能力が低い」と言われなければならないものなのでしょうか。
「私たちは何のために生まれてきたのか?」
どう考えても、悩んだり苦しんだりするためではないはずです。
この質問への「方向性」が、大人が子どもたちに伝えることだと思います。
*****************
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さて、昨日は「仕事で悩んだり、苦しんだりする必要なんて1%もありません」と書きました。
もちろん、努力することは必要です。
※共感している「努力不要論」の説明は割愛します。
ただし、これは少年がプロ野球選手を目指して努力するのと同じで「必要な取り組み」という意味です。
そのプロセスで悩んだり、苦しんだりすることは成長に不可欠ですが、大多数の社会人のそれは「他者からの圧迫」により味わうものです。
私はこの必要が「1%もない」と言っているのです。
でも、多くの経営者や多くの上司が「仕事は辛いものだ」という類のことを言っているはずです。
それは何故か?
その人たちが「仕事は辛いものだ」という価値観に支配されて年齢を重ねたからです。
会社に人生の大半を支配されて年齢を重ねたからです。
自分の経験を語っているのですから、ある意味、「仕方ない」ともいえます。
あとは「自分がそうなりたいかどうか」の問題です。
自分が上司になった時に「あのな、仕事は辛いものなんだよ。俺だってね・・」と部下スタッフを諭したい人は、それを受け入れ、信じればいいと思います。
世の中をよく見てください。
そんなことを言っていない人はたくさんいます。
社内だけを見ていてはダメなのです。
今日は「子どもの日」です。
大人が子どもたちに伝えることは何でしょう?
「仕事は辛いものだ」ということなのでしょうか。
「将来は野球選手になりたい」と言っている子どもに「お前では無理だ」ということなのでしょうか。
誰もが「違う」と言うはずです。
では、何故、大人にはそのように言うのでしょうか?
これを「真っ向否定」するには、自分が「違う生き方」をしなければ、そうは言えないはずです。
綺麗ごとではなく、私はそういうことを意識して生きてきました。
「このままでは自分の人生を誇れない・・」
「何故、俺は支配を受けて生きているのか・・」と。
もちろん、こういう経験が私の反骨心(カウンター・カルチャー)につながっていることは間違いありません。
が、せいぜいそれは20歳代、長くても35歳くらいまでだと思います。
それを過ぎて悩んだり、苦しんだりする必要はないでしょう。
仮に人生80年と考えれば、後半戦くらいは徹底的に楽しむべきではないのでしょうか。
それとも人生とはそんなに難儀なものなのでしょうか。
どこかの会社みたいに還暦を過ぎてまで「能力が低い」と言われなければならないものなのでしょうか。
「私たちは何のために生まれてきたのか?」
どう考えても、悩んだり苦しんだりするためではないはずです。
この質問への「方向性」が、大人が子どもたちに伝えることだと思います。
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by fitnessbiz-01
| 2016-05-05 18:02