2011年 03月 12日
No.1279 3月12日(土):「訓練」と「現実」は違う。 |
★このブログは毎日更新予定です。(意気込みレベル)
こんにちは。遠藤です。私のブログが速いスピードで読まれています。
中には、私のブログから東京の様子を感じたり、「遠藤は大丈夫なのか」ということで、お読みいただけるケースもあるのかと思います。
ブログの役割を再認識しました。
マスコミでは昨日以上の惨劇が報道されています。
地震時に私がいたビルは、日頃からとても厳しい「緊急対応訓練」をしているということでした。
しかし、「現実場面」では、その「周到な訓練」がほとんど機能しなかったというのです。
「この場面ではこうする」というルールが実行されず、イレギュラー対応を継ぎ接ぎする状況になったようです。
実際、「営業中止」の判断もクラブの方が早く(地震発生から約10~15分後)、ビルがそれを決定したのは、そこから約50分後、地震発生から1時間強が経過していました。
これを責める気もなく、それほどまでに難しい場面だったわけですが、私個人も、「日頃の周到なシュミレーション」はもちろんのこと、「その場の正しく速い判断」が、まさに「運命の分かれ道」となることを認識しました。
室内にいる場合、屋外にいる場合はもちろん、室内も屋外でもどこに誰が何人いるかで対応は変わります。
ここまでを正確にシュミレーションするのは困難だと思います。
室内で机の下に隠れたところで、建物が完全崩壊したらどうしようもありません。
しかし、机の下に隠れれば、天井崩壊くらいなら、被害を最小化できます。
でも、素早く屋外に駐車場等に逃げれば、建物が崩壊しても助かる可能性があります。
ならば、最悪の事態を考えて、常に外に逃げ出した方がよい。
では、「机の下に隠れてください」と判断した人は、過失を問われるのか?
一方で、外に逃げ出そうとした通路部分だけが崩壊したらどうなるのか?
考えたらきりがありません。
だから、助かるため、生き延びるための最適な判断を瞬時にするしかないのです。
それにしても、津波が町を飲み込んでいく映像はCG映画の一場面を見ているようでした。
「どう考えても人が流れている」と思いました。
だからといって、自分は現地に行くわけでもない。
家族5名が一緒にいられることに安堵している自分がいる。
このあたりのバランスが難しいです。
子ども達はバスケの試合も練習も中止になりました。
「被災した方の苦しみに比べれば・・」
こういった比較論での説明が、子どもに対して本質的な意味を持つとも思えません。
2009年6月8日のブログに、「永遠に生きるつもりで学び、明日死ぬつもりで生きる」という、某書で学んだ私の人生観を記したことがあります。
改めて、その言葉を思い出し、「自分は平穏な毎日に慣れ切ってしまっているのではないか・・」と感じています。
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中には、私のブログから東京の様子を感じたり、「遠藤は大丈夫なのか」ということで、お読みいただけるケースもあるのかと思います。
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マスコミでは昨日以上の惨劇が報道されています。
地震時に私がいたビルは、日頃からとても厳しい「緊急対応訓練」をしているということでした。
しかし、「現実場面」では、その「周到な訓練」がほとんど機能しなかったというのです。
「この場面ではこうする」というルールが実行されず、イレギュラー対応を継ぎ接ぎする状況になったようです。
実際、「営業中止」の判断もクラブの方が早く(地震発生から約10~15分後)、ビルがそれを決定したのは、そこから約50分後、地震発生から1時間強が経過していました。
これを責める気もなく、それほどまでに難しい場面だったわけですが、私個人も、「日頃の周到なシュミレーション」はもちろんのこと、「その場の正しく速い判断」が、まさに「運命の分かれ道」となることを認識しました。
室内にいる場合、屋外にいる場合はもちろん、室内も屋外でもどこに誰が何人いるかで対応は変わります。
ここまでを正確にシュミレーションするのは困難だと思います。
室内で机の下に隠れたところで、建物が完全崩壊したらどうしようもありません。
しかし、机の下に隠れれば、天井崩壊くらいなら、被害を最小化できます。
でも、素早く屋外に駐車場等に逃げれば、建物が崩壊しても助かる可能性があります。
ならば、最悪の事態を考えて、常に外に逃げ出した方がよい。
では、「机の下に隠れてください」と判断した人は、過失を問われるのか?
一方で、外に逃げ出そうとした通路部分だけが崩壊したらどうなるのか?
考えたらきりがありません。
だから、助かるため、生き延びるための最適な判断を瞬時にするしかないのです。
それにしても、津波が町を飲み込んでいく映像はCG映画の一場面を見ているようでした。
「どう考えても人が流れている」と思いました。
だからといって、自分は現地に行くわけでもない。
家族5名が一緒にいられることに安堵している自分がいる。
このあたりのバランスが難しいです。
子ども達はバスケの試合も練習も中止になりました。
「被災した方の苦しみに比べれば・・」
こういった比較論での説明が、子どもに対して本質的な意味を持つとも思えません。
2009年6月8日のブログに、「永遠に生きるつもりで学び、明日死ぬつもりで生きる」という、某書で学んだ私の人生観を記したことがあります。
改めて、その言葉を思い出し、「自分は平穏な毎日に慣れ切ってしまっているのではないか・・」と感じています。
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by fitnessbiz-01
| 2011-03-12 19:33