2011年 08月 20日
No.1441 8月20日(土):フィットネスビズ兄に訊け!Vol.15(通巻206) |
★このブログは毎日更新予定です。(意気込みレベル)
※毎週土曜日は「フィットネスビズ兄に訊け」です。
【今回の内容】
「最近は、叱れない上司が増えているといわれています。『叱ること』の必要性についてどのように考えていますか?」
【現場たたき上げの遠藤からのアドバイス】
私自身は叱られるのが嫌いです。
同じように、叱られて嬉しい人はいないと思います。
中には、「叱られてやる気が出る」という人もいるのかもしれませんが、よほどの変わり者だと思うし、いずれにせよ、受け身の極致だと思います。
(以前も似たことを記しましたが)、日本という国はスポーツ教育の影響が大きいせいか、強制力や命令、酷い人になると恐怖や恫喝や権力で人を動かそうとする人が多くいます。
これらに該当する人は、「最低」だと思います。
従って、私は「上司は厳しくあれ」とか「上司は鬼であれ」とか言っている時点で、「くだらないな~」と思うわけです。
肝心要のことは、「叱る意味」と、「叱るケース」を知ることだと思います。
信じられないことかもしれませんが、私の本棚には「叱り方」の本がたくさんあります。
何故なら、支配人に成りたての頃は、「叱ること」ができなかったからです。
相手が不貞腐れるのではないか、自分を嫌うのではないか、といった類のことが気になるのです。
最近、増えている「叱れない上司」という人達も、同じような感情でしょう。
しかし、私と少し違うかもしれないのは、私には「理念」がありました。
自分の「理念」に反した行動を取っている自分自身を情けなく、恥ずかしく思っていました。
そこから、「叱るのは相手のため」、「叱るのは理念実現のため」と気づくまでに長い時間を要した気がしますが・・、理念も哲学もなく、単に「嫌われたくない」とか「仲良くやりたい」という理由で叱れないのであれば問題だと思います。
続いて、厳しく叱りつけなければいけないのは、以下のパターンでしょう。
・理念や規律に反した場合。
・同じことを何度も繰り返す場合。
このような場合は躊躇なく叱責し、改善が見られない場合は、(スポーツに例えれば)試合にも出さず、ベンチからも外す厳しさが必要です。
ここまでは「叱る側」からコメントしましたが、「叱られる側」の多くに欠落していると感じることがあります。
それは「自尊心」です。
私にとっての、最大の叱り言葉は「失望した」とか「がっかりした」とか言われることです。
もしも、両親に「お前にはがっかりした」と言われたら、この世に存在する意味がないくらいのショックを受けると思います。
その一言で、「二度と同じことはすまい」と自信に誓うでしょう。
「叱られ続ける人」というのは、「自尊心」がないのです。
「恥ずかしい」と感じる閾値が、限りなく低いのです。
この「自尊心」を、「叱る側」も「叱られる側」も共有することが、唯一の「絶対解」のような気がします。
******************
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※以下の広告は私の意思とはまったく関係なく勝手に表示されております。
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私自身は叱られるのが嫌いです。
同じように、叱られて嬉しい人はいないと思います。
中には、「叱られてやる気が出る」という人もいるのかもしれませんが、よほどの変わり者だと思うし、いずれにせよ、受け身の極致だと思います。
(以前も似たことを記しましたが)、日本という国はスポーツ教育の影響が大きいせいか、強制力や命令、酷い人になると恐怖や恫喝や権力で人を動かそうとする人が多くいます。
これらに該当する人は、「最低」だと思います。
従って、私は「上司は厳しくあれ」とか「上司は鬼であれ」とか言っている時点で、「くだらないな~」と思うわけです。
肝心要のことは、「叱る意味」と、「叱るケース」を知ることだと思います。
信じられないことかもしれませんが、私の本棚には「叱り方」の本がたくさんあります。
何故なら、支配人に成りたての頃は、「叱ること」ができなかったからです。
相手が不貞腐れるのではないか、自分を嫌うのではないか、といった類のことが気になるのです。
最近、増えている「叱れない上司」という人達も、同じような感情でしょう。
しかし、私と少し違うかもしれないのは、私には「理念」がありました。
自分の「理念」に反した行動を取っている自分自身を情けなく、恥ずかしく思っていました。
そこから、「叱るのは相手のため」、「叱るのは理念実現のため」と気づくまでに長い時間を要した気がしますが・・、理念も哲学もなく、単に「嫌われたくない」とか「仲良くやりたい」という理由で叱れないのであれば問題だと思います。
続いて、厳しく叱りつけなければいけないのは、以下のパターンでしょう。
・理念や規律に反した場合。
・同じことを何度も繰り返す場合。
このような場合は躊躇なく叱責し、改善が見られない場合は、(スポーツに例えれば)試合にも出さず、ベンチからも外す厳しさが必要です。
ここまでは「叱る側」からコメントしましたが、「叱られる側」の多くに欠落していると感じることがあります。
それは「自尊心」です。
私にとっての、最大の叱り言葉は「失望した」とか「がっかりした」とか言われることです。
もしも、両親に「お前にはがっかりした」と言われたら、この世に存在する意味がないくらいのショックを受けると思います。
その一言で、「二度と同じことはすまい」と自信に誓うでしょう。
「叱られ続ける人」というのは、「自尊心」がないのです。
「恥ずかしい」と感じる閾値が、限りなく低いのです。
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by fitnessbiz-01
| 2011-08-20 22:36