2011年 11月 20日
No.1533 11月20日(日):「幸福」な若者達?! |
★このブログは毎日更新予定です。(意気込みレベル)
※日曜日はプライベート的な内容(あくまでも予定)です。
こんにちは。遠藤です。今日の日中は半袖の人も見かけるほど。明日は一気に7℃も下がるそうなので準備が欠かせません。
さて、本日はプライベート的ではない話題で。
先日、ブータン王国が重視する「国民総幸福度(GNH)」について記しましたが、日本も負けていません。
内閣府(2010年)の調査によると、「20代の70%が、今の生活に満足している」と考えているそうです。
これを毎日新聞が「幸福な若者達」とシニカルに特集していました。
その思考形態は以下の通りです。
「ファストフードやディスカウント店等が増え、お金をかけずにそこそこ楽しく暮らすことができる。ケータイなど友達とつながるツールも増えた。」
「人は『今より幸せになれる』と思った時、今に満足しなくなる。逆に『今より幸せになれない』と思えば、今に満足できるようになる。」
「気の合う仲間と日常を楽しむ生き方がいい。野望を抱いたりせず、友達と一緒にご飯を食べられたら幸せ、みたいな。」
「今の暮らしが続かなくなるとは思わない。将来も今と同じ生活が続く。」
まぁ、こんな感じなのでしょうね。
では、彼等彼女等に次の質問をしたらどうなるでしょう?
「あなたは自国を誇りに思いますか?」
「あなたは自国の未来を信じることができますか?」
おそらく、「別に~」、「関係ないし~」という答えしか返ってこないでしょう。
ここでブータン国王の言葉を思い出しましょう。
「若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います。我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。」
この言葉からもわかるように、国における「幸福」とは、その国の良き価値観が伝統的に引き継がれ、先人は若者達に期待し、若者は先人達を敬い、国民が自国に誇りを持てる状態のことだと思います。
そもそも、定義もしないで「幸せですか?」なんて聞くから、こんな結論になってしまうわけで、それを旬の「幸福論」と(皮肉とはいえ)結びつけるのですから、もう論理は滅茶苦茶です。
仮に上記を「幸せの定義」とし、「そう思いますか?」と質問すれば、多くが「思わない」というに決まっています。(もしかすると、70%くらいが「思わない」というかもしれない。)
「人生不感症」の責任は、過去の延長線上で生きてきた大人達と、自己の将来に危機感を持たない若者達の両者にあるように思えます。
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その思考形態は以下の通りです。
「ファストフードやディスカウント店等が増え、お金をかけずにそこそこ楽しく暮らすことができる。ケータイなど友達とつながるツールも増えた。」
「人は『今より幸せになれる』と思った時、今に満足しなくなる。逆に『今より幸せになれない』と思えば、今に満足できるようになる。」
「気の合う仲間と日常を楽しむ生き方がいい。野望を抱いたりせず、友達と一緒にご飯を食べられたら幸せ、みたいな。」
「今の暮らしが続かなくなるとは思わない。将来も今と同じ生活が続く。」
まぁ、こんな感じなのでしょうね。
では、彼等彼女等に次の質問をしたらどうなるでしょう?
「あなたは自国を誇りに思いますか?」
「あなたは自国の未来を信じることができますか?」
おそらく、「別に~」、「関係ないし~」という答えしか返ってこないでしょう。
ここでブータン国王の言葉を思い出しましょう。
「若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います。我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。」
この言葉からもわかるように、国における「幸福」とは、その国の良き価値観が伝統的に引き継がれ、先人は若者達に期待し、若者は先人達を敬い、国民が自国に誇りを持てる状態のことだと思います。
そもそも、定義もしないで「幸せですか?」なんて聞くから、こんな結論になってしまうわけで、それを旬の「幸福論」と(皮肉とはいえ)結びつけるのですから、もう論理は滅茶苦茶です。
仮に上記を「幸せの定義」とし、「そう思いますか?」と質問すれば、多くが「思わない」というに決まっています。(もしかすると、70%くらいが「思わない」というかもしれない。)
「人生不感症」の責任は、過去の延長線上で生きてきた大人達と、自己の将来に危機感を持たない若者達の両者にあるように思えます。
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by fitnessbiz-01
| 2011-11-20 21:55