2012年 03月 14日
No.1648 3月14日(水):「教育の完結」とは何か |
こんにちは。遠藤です。また、本日、「現場のミカタ」の「マネジメントの基礎知識コーナー」に「マーケティングの基本(その4)」をアップしました。本ページ右上のボタンからご覧ください。
先週土曜日のブログに「ノーネクタイ」のことを書いたら、今日の日経MJに「通年ノーネクタイ族が3割」で、「環境が許せばノーネクタイにしたい人が8割以上」という記事が出ていましたね。
「8割がノーネクタイ」になったら、私はめでたく「ネクタイ派」になろうと思います。
こーいう「みんながやったら」とか「環境が許せば」というのがもっとも良くありません。
そう思うなら、「先陣を切ればいい」わけだし、「自らが環境をつくったらいい」のです。
さて、ご案内通り、昨日の秋山仁さんの「教育論」の続きです。
秋山さんは「あらゆる子どもが、将来、大いに生きがいを感じる職業にいざなわれることで教育は完結する」といわれています。
また、「この世に生を受けた以上、どんなことがあっても、人は誰かを幸せにしたり、喜ばせたりする使命がある」、「自分はこうなっていきたいんだという夢を持って、人生を貫くことが大切」ともいわれています。
これらのことは「教育」の本質とか意味を見事に表現していると思います。
子どもに関していえば、「教育責任」は「親」と「教師」にあります。
「親」については週末にいろいろと熱く論じているので割愛するとして、その一翼を担う「先生」は、秋山さんもいわれるように疲れ切っています。
生現場を見ていても、そのままですね。
「カリキュラム」をこなすことに必死になっていて、先生方の風貌や雰囲気からは子ども達に教えるべき「知的好奇心」や「自発性」、「主体性」などは微塵も感じません。
受験についても、「生徒が将来、大いに生きがいを感じる職業にいざなわれること」などそっちのけで、「どこでもいいのでとりあえず全員の進路決定!」を優先しているように感じました。
なので、「挑戦」や「チャレンジ」よりも、「単願」とか「併願」を薦めてくるのです。
まぁ、このあたりは親の責任なので期待もしていませんが、「こんなことで教師業は楽しいのかな~?」と思ったものです。
と、教師について書きたかったのではなく、重要なのはこの「教育論」は企業でもまったく同じ構図だということです。
「教師」にあたる「上司」は教師同様に疲れ切っていますね。
「上司」としての高い質を保つべく、自己研さんに励んでいる人がどれほどいるでしょうか。
部下が生きがいを感じるようなサポートを提供できているでしょうか。
一方、個人も「自分はこうなっていきたいんだ」という夢を持ち、己の知的好奇心に触発されて、自発的に学んでいる人がどれほどいるでしょうか。
いずれにせよ、企業教育は秋山さんのいわれるような哲学のもとに実行されていません。
秋山さんの警笛から、私達が学ぶことはあまりにもたくさんあると思います。
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「8割がノーネクタイ」になったら、私はめでたく「ネクタイ派」になろうと思います。
こーいう「みんながやったら」とか「環境が許せば」というのがもっとも良くありません。
そう思うなら、「先陣を切ればいい」わけだし、「自らが環境をつくったらいい」のです。
さて、ご案内通り、昨日の秋山仁さんの「教育論」の続きです。
秋山さんは「あらゆる子どもが、将来、大いに生きがいを感じる職業にいざなわれることで教育は完結する」といわれています。
また、「この世に生を受けた以上、どんなことがあっても、人は誰かを幸せにしたり、喜ばせたりする使命がある」、「自分はこうなっていきたいんだという夢を持って、人生を貫くことが大切」ともいわれています。
これらのことは「教育」の本質とか意味を見事に表現していると思います。
子どもに関していえば、「教育責任」は「親」と「教師」にあります。
「親」については週末にいろいろと熱く論じているので割愛するとして、その一翼を担う「先生」は、秋山さんもいわれるように疲れ切っています。
生現場を見ていても、そのままですね。
「カリキュラム」をこなすことに必死になっていて、先生方の風貌や雰囲気からは子ども達に教えるべき「知的好奇心」や「自発性」、「主体性」などは微塵も感じません。
受験についても、「生徒が将来、大いに生きがいを感じる職業にいざなわれること」などそっちのけで、「どこでもいいのでとりあえず全員の進路決定!」を優先しているように感じました。
なので、「挑戦」や「チャレンジ」よりも、「単願」とか「併願」を薦めてくるのです。
まぁ、このあたりは親の責任なので期待もしていませんが、「こんなことで教師業は楽しいのかな~?」と思ったものです。
と、教師について書きたかったのではなく、重要なのはこの「教育論」は企業でもまったく同じ構図だということです。
「教師」にあたる「上司」は教師同様に疲れ切っていますね。
「上司」としての高い質を保つべく、自己研さんに励んでいる人がどれほどいるでしょうか。
部下が生きがいを感じるようなサポートを提供できているでしょうか。
一方、個人も「自分はこうなっていきたいんだ」という夢を持ち、己の知的好奇心に触発されて、自発的に学んでいる人がどれほどいるでしょうか。
いずれにせよ、企業教育は秋山さんのいわれるような哲学のもとに実行されていません。
秋山さんの警笛から、私達が学ぶことはあまりにもたくさんあると思います。
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by fitnessbiz-01
| 2012-03-14 23:11