2014年 07月 01日
No.2487 7月1日(火):「知的怠惰」から卒業しよう!もっと「常識」を疑おう! |
こんにちは。遠藤です。今週のブログでは「思考力強化マガジンPower of Thinking」の「最終号」に、私が「ラストメッセ―ジ」として記した内容を掲載させていただきます。
強い思いを込めているので、同マガジン読者の方も再読いただければ幸いです。
というわけで、スタートです。
●タイトル:「知的怠惰」から卒業しよう!もっと「常識」を疑おう!
(昨日からの続きです)これらの状態を一言で表すなら「知的怠惰」だということです。死んだような顔をして「やり方がわからない」とか「結果が出ない」とか「仕事がきつい」とか「時間がない」とか「休みがない」とか、クドクドと弱音を吐いている人には、今も昔も以下の共通点があります。
・「なりたい自分像」がない
・学んでいない
・行動していない
・付き合っている人が三流である(環境が三流である)
自分の中でこの項目をクリアしようと決めない限り、「自分の人生」はありません。「自分の人生」というのは「描いて、学んで、行動する」という「自助努力」に、「環境」が掛け合わされることで実現するのです。ここで私が声を大にして言いたいのは「自助努力」をしても、「環境」が三流であれば、その人はせいぜい「二流止まり」ということです。どんなに頑張ったって、人間は「日常」の影響を受けるのです。
だから私は「メンター」を持つべきだというのです。「メンター」には様々な定義がありますが、私は「羅針盤」だと思っています。「正しい方向性を示唆(指示ではない)してくれる人」です。「心地よい仲間達」と群れていれば、次第にその「群れ」の中でしか通用しない人間になってしまいます。
もっとも私は「自分の人生」を生きるか、その対極にある「会社の人生」、「他人の人生」を生きるかは個人の選択であり、どちらでもいいと思っています。その代わり、後者を選ぶなら「一生、文句を言うべきではない」、「黙って従うべきである」、「文句は居酒屋で発散しよう」といったことを認めるべきだと思います。「自分で食っていくための努力」をしていないのだから、「食わせていただいてありがとうございます」と考えるのが当たり前です。
実際、人々の80~90%くらいはこの状態だと私は思っています。そのことは、皆、同じような時間に出勤し、皆、同じような時間を労働し、皆、同じような時間に帰宅し、皆、同じような給料をもらっている「現実」を見れば明らかでしょう。
私は皆さま個々の「年齢」を把握しているわけではありませんが、皆さまの年齢から「上の世代」を見た時に「あの人の生き方はカッコいいな!」と思う人が、一体何人いますか?多くの人が「労働基準法」に束縛され、会社に命じられた場所で、会社に決められた給料で働いています。
そして、この状況を「仕方ない」、「人生はこんなものだ」と受け入れ、どこかで我慢しながら生きています。そんなことをやっているうちに年月は重なり、結局、自分の可能性をほとんど発揮できないまま、大半の人の人生は終わっていくのです。
(明日に続きます)。
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・「なりたい自分像」がない
・学んでいない
・行動していない
・付き合っている人が三流である(環境が三流である)
自分の中でこの項目をクリアしようと決めない限り、「自分の人生」はありません。「自分の人生」というのは「描いて、学んで、行動する」という「自助努力」に、「環境」が掛け合わされることで実現するのです。ここで私が声を大にして言いたいのは「自助努力」をしても、「環境」が三流であれば、その人はせいぜい「二流止まり」ということです。どんなに頑張ったって、人間は「日常」の影響を受けるのです。
だから私は「メンター」を持つべきだというのです。「メンター」には様々な定義がありますが、私は「羅針盤」だと思っています。「正しい方向性を示唆(指示ではない)してくれる人」です。「心地よい仲間達」と群れていれば、次第にその「群れ」の中でしか通用しない人間になってしまいます。
もっとも私は「自分の人生」を生きるか、その対極にある「会社の人生」、「他人の人生」を生きるかは個人の選択であり、どちらでもいいと思っています。その代わり、後者を選ぶなら「一生、文句を言うべきではない」、「黙って従うべきである」、「文句は居酒屋で発散しよう」といったことを認めるべきだと思います。「自分で食っていくための努力」をしていないのだから、「食わせていただいてありがとうございます」と考えるのが当たり前です。
実際、人々の80~90%くらいはこの状態だと私は思っています。そのことは、皆、同じような時間に出勤し、皆、同じような時間を労働し、皆、同じような時間に帰宅し、皆、同じような給料をもらっている「現実」を見れば明らかでしょう。
私は皆さま個々の「年齢」を把握しているわけではありませんが、皆さまの年齢から「上の世代」を見た時に「あの人の生き方はカッコいいな!」と思う人が、一体何人いますか?多くの人が「労働基準法」に束縛され、会社に命じられた場所で、会社に決められた給料で働いています。
そして、この状況を「仕方ない」、「人生はこんなものだ」と受け入れ、どこかで我慢しながら生きています。そんなことをやっているうちに年月は重なり、結局、自分の可能性をほとんど発揮できないまま、大半の人の人生は終わっていくのです。
(明日に続きます)。
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by fitnessbiz-01
| 2014-07-01 23:44