2015年 11月 11日
No.2985 11月11日(水):多くの人が「感性を鈍らされている原因」 |
こんにちは。遠藤です。一昨日、「やるか、やらないか」ということを書いたら、2010年1月2日(No.845)の「やるか、やらないかだけのこと」というブログが引っかかってきました。
6年間、同じ台詞を言っているわけですが、つまり、「原則」ということです。
さて、本日は昨日に記す予定だった「多くの人が『感性を腐らされている原因』の1つ」についてです。
※「鈍らされている」に変更。
それは、今、誰にとっても欠かせない存在になっているであろう「メール(SNS含む)」です
そう考える理由は大きく2つあります。
1つはメールが表面的な表現で完結することです。
フェイスブックやツイッターもそうですが、明らかに「短文仕様」になっています。
もちろん、これらは「そういうもの」です。
「小説」みたいな長文が書いてあれば読みづらいです。
ということはどういうことかというと、これらは「短文で完結することを伝えるためのツール」なのです。
なので、日常のメールは共有事項や連絡事項を伝えるためのものです。
フェイスブックやツイッターも「食べました、行きました、会いました」といった内容に、写真の1枚でもセットをしてアップするのが合っています。
LINEにしても同じようなものです。
つまり、私たちの日常はこのような表面的な言語やコミュニケーションに支配されているわけです。
なので、強制的に考えることをしなければ、脳の中の言語も表面的なものが中心的になっていきます。
脳の中に深さがなければ、感じることは浅くなります。
その結果、何を見ても何も感じなくなるのです。
だから、私は「徹底的に考えて、それを言葉にして書くべきだ」と言っているのです。
もう1つの理由は「メール」が「リアルの世界ではない」ということです。
少し前までは、少なくとも「電話」をしなければ、本人と話をすることはできませんでした。
私が大学生の頃、親友の若ちゃんがアメリカ留学していたのですが、(大切な話をする際に)電話をすると、10分程度でもとんでもない料金がかかっていたのを思い出します。
通常はエアメールを送っていましたが、届くだけで10日間くらいかかりました。
このように「会話」は「時間」であり、「コスト」だったのです。
今はメールをすれば「話したこと」になります。
よって、「リアルの価値」への認識がどんどん低下しているし、ほとんどの人がそれに気づいていません。
故に「部下スタッフにメールで注意しました」とかいうバカ者も現れます。
ネットとリアルの使い方がまったくわかっていないのです。
同じ職場にいるのにメールで1対1のコミュニケーションをするなどあり得ません。
※前述の共有事項等は除く。
やっている人は直ちに止めるべきだし、もし、あなたの上司がそうであれば、その人から「仕事」について学ぶことはあっても、「人間」として学ぶことは何もないはずです。
「人」に対して、適切な「感性」があれば、メールでモノを言うということは絶対にできないからです。
※子どもにメールで注意する親はいない。いれば「相当どうかしている」のと同じ。
ほぼ不可能なことですが、1年間くらい「メール」から離れて、1日1200文字くらいの文章を書き続けたらどうなるかを想像してみてください。
まったく違う世界が形成されるはずです。
「リアルの言語」や「リアルの価値」を思い出し、「感じる力」を取り戻すと思います。
繰り返しますが、感じなければ行動しないのです。
もし、今、動けていなければ、それは感性が鈍っている、鈍らされているということです。
鈍っていなければ、自動的に行動するからです。

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6年間、同じ台詞を言っているわけですが、つまり、「原則」ということです。
さて、本日は昨日に記す予定だった「多くの人が『感性を腐らされている原因』の1つ」についてです。
※「鈍らされている」に変更。
それは、今、誰にとっても欠かせない存在になっているであろう「メール(SNS含む)」です
そう考える理由は大きく2つあります。
1つはメールが表面的な表現で完結することです。
フェイスブックやツイッターもそうですが、明らかに「短文仕様」になっています。
もちろん、これらは「そういうもの」です。
「小説」みたいな長文が書いてあれば読みづらいです。
ということはどういうことかというと、これらは「短文で完結することを伝えるためのツール」なのです。
なので、日常のメールは共有事項や連絡事項を伝えるためのものです。
フェイスブックやツイッターも「食べました、行きました、会いました」といった内容に、写真の1枚でもセットをしてアップするのが合っています。
LINEにしても同じようなものです。
つまり、私たちの日常はこのような表面的な言語やコミュニケーションに支配されているわけです。
なので、強制的に考えることをしなければ、脳の中の言語も表面的なものが中心的になっていきます。
脳の中に深さがなければ、感じることは浅くなります。
その結果、何を見ても何も感じなくなるのです。
だから、私は「徹底的に考えて、それを言葉にして書くべきだ」と言っているのです。
もう1つの理由は「メール」が「リアルの世界ではない」ということです。
少し前までは、少なくとも「電話」をしなければ、本人と話をすることはできませんでした。
私が大学生の頃、親友の若ちゃんがアメリカ留学していたのですが、(大切な話をする際に)電話をすると、10分程度でもとんでもない料金がかかっていたのを思い出します。
通常はエアメールを送っていましたが、届くだけで10日間くらいかかりました。
このように「会話」は「時間」であり、「コスト」だったのです。
今はメールをすれば「話したこと」になります。
よって、「リアルの価値」への認識がどんどん低下しているし、ほとんどの人がそれに気づいていません。
故に「部下スタッフにメールで注意しました」とかいうバカ者も現れます。
ネットとリアルの使い方がまったくわかっていないのです。
同じ職場にいるのにメールで1対1のコミュニケーションをするなどあり得ません。
※前述の共有事項等は除く。
やっている人は直ちに止めるべきだし、もし、あなたの上司がそうであれば、その人から「仕事」について学ぶことはあっても、「人間」として学ぶことは何もないはずです。
「人」に対して、適切な「感性」があれば、メールでモノを言うということは絶対にできないからです。
※子どもにメールで注意する親はいない。いれば「相当どうかしている」のと同じ。
ほぼ不可能なことですが、1年間くらい「メール」から離れて、1日1200文字くらいの文章を書き続けたらどうなるかを想像してみてください。
まったく違う世界が形成されるはずです。
「リアルの言語」や「リアルの価値」を思い出し、「感じる力」を取り戻すと思います。
繰り返しますが、感じなければ行動しないのです。
もし、今、動けていなければ、それは感性が鈍っている、鈍らされているということです。
鈍っていなければ、自動的に行動するからです。

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by fitnessbiz-01
| 2015-11-11 20:16