2015年 12月 30日
No.3034 12月30日(水):「人間関係」は「責任」である |
こんにちは。遠藤です。年末恒例行事の雪山にやってまいりました。
年明けに子どもたちの大会があるのでスキーは自粛し、到着後はホテルにあるジムで一緒にトレーニングをしました。
さて、本日は私の中での「金言」というか、「自分で気づいた大切なこと」を記します。
それが「人間関係は責任である」ということです。
先日、ある話を聞いていて、このワードが降りてきました。
これに気づいたことで、自分が何故、SNSを中心とした「つながり」が嫌いなのかがよくわかりました。
私は「インターネット」は必要ですが、例えば「フェイスブック」は「まったく不要」だと思っています。
一秒後になくなってくれても問題ありません。
ここには「責任」がないからです。
私は「責任のないつながり」に意味を見い出せません。
こういう「責任のないつながり」に慣れきっているから、自分が発する言葉や行動にも責任がなくなってくるのです。
だから、私は他人のフェイスブック等にコメントを記す場合も、最大の注意を払うべきだと思っています。
こういうのを簡単に書いてしまったり、その行為が意味することに気づかない人って、ホント、感性が鈍いし、センスがないと思います。
私は(高校の同級生以外)自分から何かを書くことはないし、返信する場合も「この人のこのコメントに対し、私がこう書くと、読んだ人はこう思うだろうな」というのを(簡単にですが)意識しています。
こう言ってしまうと「いやらしい」と感じる人もいるかもしれません。
しかし、インターネット上で会話をするというのはこういうことです。
「世界中の人に読まれる」というリスクを理解できていれば、安直で無知なことは書けないはずです。
「人間関係」とか「つながり」って、そんなお気楽なものじゃないのですよ。
真面目に書きますけど、子どもだって「つながりの結果」ですよね。
手と手を取り合うということは、そこに相手への責任が生じるのです。
勉強会等に行くと、数回しか会っていない人が「ジョイントしませんか」なんて言ってきます。
「おいおい・・」って私は思います。
そこにあるのは「一時的な売上(=我欲)」だけで、「責任」ではありません。
人に誰かを紹介するのも同じです。
「紹介した責任はとれるのですね?」と。
「誰々さんを紹介してください」も同じです。
「紹介された責任はとれるのですね?」と。
表面的なつながりなど、片っ端から捨てるべきです。
「人間関係」は真剣勝負です。
「責任」があるから、そこに「価値」が生まれるのだと私は思います。
*****************
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それが「人間関係は責任である」ということです。
先日、ある話を聞いていて、このワードが降りてきました。
これに気づいたことで、自分が何故、SNSを中心とした「つながり」が嫌いなのかがよくわかりました。
私は「インターネット」は必要ですが、例えば「フェイスブック」は「まったく不要」だと思っています。
一秒後になくなってくれても問題ありません。
ここには「責任」がないからです。
私は「責任のないつながり」に意味を見い出せません。
こういう「責任のないつながり」に慣れきっているから、自分が発する言葉や行動にも責任がなくなってくるのです。
だから、私は他人のフェイスブック等にコメントを記す場合も、最大の注意を払うべきだと思っています。
こういうのを簡単に書いてしまったり、その行為が意味することに気づかない人って、ホント、感性が鈍いし、センスがないと思います。
私は(高校の同級生以外)自分から何かを書くことはないし、返信する場合も「この人のこのコメントに対し、私がこう書くと、読んだ人はこう思うだろうな」というのを(簡単にですが)意識しています。
こう言ってしまうと「いやらしい」と感じる人もいるかもしれません。
しかし、インターネット上で会話をするというのはこういうことです。
「世界中の人に読まれる」というリスクを理解できていれば、安直で無知なことは書けないはずです。
「人間関係」とか「つながり」って、そんなお気楽なものじゃないのですよ。
真面目に書きますけど、子どもだって「つながりの結果」ですよね。
手と手を取り合うということは、そこに相手への責任が生じるのです。
勉強会等に行くと、数回しか会っていない人が「ジョイントしませんか」なんて言ってきます。
「おいおい・・」って私は思います。
そこにあるのは「一時的な売上(=我欲)」だけで、「責任」ではありません。
人に誰かを紹介するのも同じです。
「紹介した責任はとれるのですね?」と。
「誰々さんを紹介してください」も同じです。
「紹介された責任はとれるのですね?」と。
表面的なつながりなど、片っ端から捨てるべきです。
「人間関係」は真剣勝負です。
「責任」があるから、そこに「価値」が生まれるのだと私は思います。
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by fitnessbiz-01
| 2015-12-30 18:59