2016年 03月 13日
No.3108 3月13日(日):すべての幸せは「当たり前の日常」があってこそ成立する |
※日曜日はできるだけプライベート的な内容の予定ですが、その日によります。
こんにちは。遠藤です。3月17日(木)から30日(水)の期間で、FBL大学の「第6期スタートコース」の募集をします。
現在は年に2回の募集です。
本ブログでもご案内していきますので、この機会に是非、参画いただければと思います。
さて、90歳の伯母が入院中です。
数週間前に意識がもうろうとなりそのまま入院。
一時は生命も危ぶまれたようでしたが、なんとか回復しました。
私の母は小学生の頃に母親を亡くしており、叔母は母親代わりとして私の母を育ててくれた人です。
入院初期は叔母の言行がおかしくなってしまい、私の母はその姿を見て強いショックを受けていました。
私にその姿を見せたくないため、「お見舞いには行かなくていい」と言っていたくらいです。
万が一のことがあってはいけないと思い、私はお見舞いに行きましたが、その後、病院の先生も驚くほどに回復しました。
ベッドから立ち上がることはできませんが、意識は完全に元に戻っています。
お見舞い時も、私の腕を触りながら、点滴が刺さり、どす黒く、かつ、痩せ細ってしまった自分の腕と比較して、「あなたの腕は私の腰のようだね」なんて言っていました。
自分の言行(奇行)はまったく覚えていないということなので、まさに生死をさまよっていたのかもしれません。
実は叔母の旦那様は交通事故で急死しています。
叔父にあたる人を旦那様とよそよそしく書くのは、私がその存在を知らないからです。
叔父は私が生まれる数日前に亡くなりました。
ドラマチックに書くことではありませんが、亡くなった叔父と生まれ変わるかのように生誕したのが私です。
その当時、叔父の死を知ったら私の母が動揺し、出産に悪影響が出てしまうのではないかと、周囲は大変な状況だったようです。
そんな経緯もあってか、私も叔母にはかわいがってもらいました。
90歳とはいえ・・その祖母が病院のベッドから一歩も動けないのです。
その光景に直面し「俺もいつかはこうなるのかな・・」と感じました。
こういうことがあると、当たり前の日常の存在にこそ「幸せ」があることに気づかされます。
食卓に当たり前に父がいる。
食卓に当たり前に母がいる。
食卓に当たり前に妻がいる。
食卓に当たり前に子どもたちがいる。
食卓に当たり前に自分がいる。
「生」がある以上、必ず「死」があるので不慮の出来事等でその当たり前の日常が失われることもあります。
だからこそ、「今、ある日常」に感謝することが大切なのだと思います。
世の中は物欲に溢れています。
物欲のすべては「カネ」さえあれば、確実に手に入ります。
一方、「当たり前の日常」は、1兆円あっても手に入りません。
実際、社会的地位があっても、家庭が崩壊している人はたくさんいるはずです。
私はその状態が幸せだとは感じません。
すべての幸せは「当たり前の日常」があってこそ成立するものではないか。
私はそんな風に思います。
★2016年3月に開催する「定例勉強会」のお申し込みについて。
まだお申込みはできますので、以下の「定例勉強会のご案内ページ」を参考にお手続きください。
※「定例勉強会」のご案内ページはこちらをクリックしてください。
*****************
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▼私の初の出版本である「自分自身を取り戻せ!」のお申込みは上記ホームページから、下部の「書籍の販売」をクリックしてください。
▼遠藤一佳のフェイスブック
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さて、90歳の伯母が入院中です。
数週間前に意識がもうろうとなりそのまま入院。
一時は生命も危ぶまれたようでしたが、なんとか回復しました。
私の母は小学生の頃に母親を亡くしており、叔母は母親代わりとして私の母を育ててくれた人です。
入院初期は叔母の言行がおかしくなってしまい、私の母はその姿を見て強いショックを受けていました。
私にその姿を見せたくないため、「お見舞いには行かなくていい」と言っていたくらいです。
万が一のことがあってはいけないと思い、私はお見舞いに行きましたが、その後、病院の先生も驚くほどに回復しました。
ベッドから立ち上がることはできませんが、意識は完全に元に戻っています。
お見舞い時も、私の腕を触りながら、点滴が刺さり、どす黒く、かつ、痩せ細ってしまった自分の腕と比較して、「あなたの腕は私の腰のようだね」なんて言っていました。
自分の言行(奇行)はまったく覚えていないということなので、まさに生死をさまよっていたのかもしれません。
実は叔母の旦那様は交通事故で急死しています。
叔父にあたる人を旦那様とよそよそしく書くのは、私がその存在を知らないからです。
叔父は私が生まれる数日前に亡くなりました。
ドラマチックに書くことではありませんが、亡くなった叔父と生まれ変わるかのように生誕したのが私です。
その当時、叔父の死を知ったら私の母が動揺し、出産に悪影響が出てしまうのではないかと、周囲は大変な状況だったようです。
そんな経緯もあってか、私も叔母にはかわいがってもらいました。
90歳とはいえ・・その祖母が病院のベッドから一歩も動けないのです。
その光景に直面し「俺もいつかはこうなるのかな・・」と感じました。
こういうことがあると、当たり前の日常の存在にこそ「幸せ」があることに気づかされます。
食卓に当たり前に父がいる。
食卓に当たり前に母がいる。
食卓に当たり前に妻がいる。
食卓に当たり前に子どもたちがいる。
食卓に当たり前に自分がいる。
「生」がある以上、必ず「死」があるので不慮の出来事等でその当たり前の日常が失われることもあります。
だからこそ、「今、ある日常」に感謝することが大切なのだと思います。
世の中は物欲に溢れています。
物欲のすべては「カネ」さえあれば、確実に手に入ります。
一方、「当たり前の日常」は、1兆円あっても手に入りません。
実際、社会的地位があっても、家庭が崩壊している人はたくさんいるはずです。
私はその状態が幸せだとは感じません。
すべての幸せは「当たり前の日常」があってこそ成立するものではないか。
私はそんな風に思います。
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by fitnessbiz-01
| 2016-03-13 18:43