2016年 05月 30日
No.3186 5月30日(月):「生きながら死んでいる」ということ |
こんにちは。遠藤です。月曜日は有料メルマガ「思考変容のスイッチ」の配信日です。
毎週月曜日はメルマガで取り上げた内容についてコメントします。
毎週、メルマガでは「3つのテーマ」からメッセージを送っていますが、ブログではその「ごくごく一部」を抜き取って紹介します。
※また、丸々コピペするわけではなく新たに書き直します。
今日は「生きながら死んでいる」についてです。
今の世の中、多くの人は疲弊し、病んでいます。
精神疾患の増加というデータを持ち出すまでもなく、多くの人がそうなっているのは見ればわかります。
「だったら、我慢しなければいい」というのが私の考え方です。
例えば、水中に顔を押し込まれたとします。
そのまま耐えていれば、窒息死してしまいます。
だから、「必死」で脱出するでしょう。
これを「必死」というのです。
「必死」とは「言葉」ではなく「行動」なはずです。
私からすれば多くの会社で起きているのはこれと同じ状況です。
多くの人が権力とか管理によって、水中に顔を押し込まれています。
で、多くの人はこれに耐えています。
「必死」で脱出すればいいのに、耐えています。
何故なら、死なないからです。
「死ぬんじゃないか」ほどの危機感にはならないからです。
「我慢の先」に「輝く未来」があるのなら耐える必要がありますが、ほぼすべてのケースにおいてそんなことはないでしょう。
その結果、疲弊し、病んでいるのだから、何をかいわんやという感じです。
かの、吉田松陰氏の名言に以下があります。
「世の中には生きながら心の死んでいる者がいる」
そして、こう続きます。
「その身は滅んでも魂の存する者もいる」
前者は「生きているのに死んでいる人」です。
後者は「死んでいるのに生きている人」です。
先週のブログで「薫陶を受けるべきだ」と記しましたが、後者は「薫陶」のわかりやすい例でしょう。
その人の教えや生き方が、本人が亡くなった後も、誰かの魂の中で生き続けるのです。
一方、「生きながら死んでいる人」というのは、水中に顔を押し込まれているのに、極細のシュノーケルか何かで、かろうじて生きている状態です。
ここに生きていくために困らない程度の餌(給料)が定期的に与えられます。
その餌の量は「強制労働の度合い」によって決まります。
つまり、給料の量が多いのが部長等で、少ないのが一般社員です。
この違いがあるだけで「実体」は同じです。
メルマガにも関連した視点を記しましたが、吉田松陰氏は今から「160年近く前」の人物です。
これは「生きながら死んでいる人」がその頃からいることを意味しています。
問題はその状況がいまだに変わっておらず、むしろ悪化していることです。
この間、文明は著しく発達しました。
約160年前にスマホはありません。
ゲームもありません。
SNSもありません。
このように世の中は「超便利」になっているのに、肝心要の人間の「生き方」は何も変わっていないのです。
私たちの多くはこういった「依存症ビジネス」の餌食となるだけで、自分自身を豊かにすることができていないのです。
パソコンがあれば、特段、スマホがなくてもいいでしょう。
ゲームなんてやる必要もないでしょう。
目的性のないSNSなど今すぐ止めるべきものです。
が、憂鬱な気分で会社に向かい、嫌々、仕事をこなす一方で、こういったもので余暇を楽しむ。
明らかに、心が死んでいます。
こういった管理され、依存した時間から脱し、もっと自分自身を「復興」させていくべきではないのでしょうか。
「タイム・イズ・マネー」ではなく「タイム・イズ・ライフ」なのですから!
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今の世の中、多くの人は疲弊し、病んでいます。
精神疾患の増加というデータを持ち出すまでもなく、多くの人がそうなっているのは見ればわかります。
「だったら、我慢しなければいい」というのが私の考え方です。
例えば、水中に顔を押し込まれたとします。
そのまま耐えていれば、窒息死してしまいます。
だから、「必死」で脱出するでしょう。
これを「必死」というのです。
「必死」とは「言葉」ではなく「行動」なはずです。
私からすれば多くの会社で起きているのはこれと同じ状況です。
多くの人が権力とか管理によって、水中に顔を押し込まれています。
で、多くの人はこれに耐えています。
「必死」で脱出すればいいのに、耐えています。
何故なら、死なないからです。
「死ぬんじゃないか」ほどの危機感にはならないからです。
「我慢の先」に「輝く未来」があるのなら耐える必要がありますが、ほぼすべてのケースにおいてそんなことはないでしょう。
その結果、疲弊し、病んでいるのだから、何をかいわんやという感じです。
かの、吉田松陰氏の名言に以下があります。
「世の中には生きながら心の死んでいる者がいる」
そして、こう続きます。
「その身は滅んでも魂の存する者もいる」
前者は「生きているのに死んでいる人」です。
後者は「死んでいるのに生きている人」です。
先週のブログで「薫陶を受けるべきだ」と記しましたが、後者は「薫陶」のわかりやすい例でしょう。
その人の教えや生き方が、本人が亡くなった後も、誰かの魂の中で生き続けるのです。
一方、「生きながら死んでいる人」というのは、水中に顔を押し込まれているのに、極細のシュノーケルか何かで、かろうじて生きている状態です。
ここに生きていくために困らない程度の餌(給料)が定期的に与えられます。
その餌の量は「強制労働の度合い」によって決まります。
つまり、給料の量が多いのが部長等で、少ないのが一般社員です。
この違いがあるだけで「実体」は同じです。
メルマガにも関連した視点を記しましたが、吉田松陰氏は今から「160年近く前」の人物です。
これは「生きながら死んでいる人」がその頃からいることを意味しています。
問題はその状況がいまだに変わっておらず、むしろ悪化していることです。
この間、文明は著しく発達しました。
約160年前にスマホはありません。
ゲームもありません。
SNSもありません。
このように世の中は「超便利」になっているのに、肝心要の人間の「生き方」は何も変わっていないのです。
私たちの多くはこういった「依存症ビジネス」の餌食となるだけで、自分自身を豊かにすることができていないのです。
パソコンがあれば、特段、スマホがなくてもいいでしょう。
ゲームなんてやる必要もないでしょう。
目的性のないSNSなど今すぐ止めるべきものです。
が、憂鬱な気分で会社に向かい、嫌々、仕事をこなす一方で、こういったもので余暇を楽しむ。
明らかに、心が死んでいます。
こういった管理され、依存した時間から脱し、もっと自分自身を「復興」させていくべきではないのでしょうか。
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by fitnessbiz-01
| 2016-05-30 18:32