2016年 07月 10日
No.3227 7月10日(日):「何故、投票に行くべきか」の私見 |
※日曜日はできるだけプライベート的な内容の予定ですが、その日によります。
こんにちは。遠藤です。カラダに悪いとは思っていながらも、子どもが食べていた「暴君ハバネロ」にハマりそうでマズイです。
だって、人間だもの。。
さて、今日は参議院選挙の投票日です。
いつも通りに投票を済ませてきました。
で、これもまたいつも通りに私が投票した人は落選することでしょう(笑)
ところで、皆さまは投票へ行きましたか。
以前も書いたことがありますが、投票に行かなかった人は「行くべきだ」と思います。
その理由は「投票に行くのが国民の責任だから」・・ではありません。
はたまた「多くの人が投票に行かないと、既得権力が温存されるから」・・でもありません。
単純に「支配される癖がつくから」です。
たしかに自分が「清き一票」を投じたところで、世の中は何も変わりません。
投票という行為はあまりにも非効率で無意味です。
実際、私もそう考えたことがあります。
行っても行かなくても何も変わらないなと。
が、冷静に考えれば「自分の投票で社会を変えよう」と考えること自体がナンセンスだと思います。
例えば、仕事であれば「1/1の世界」ですから、結果に対して自分の行動の成果がストレートに反映されます。
一方、投票というのは「1/1億」といった世界です。
※正確にはもっと少ないでしょうが。
この存在感では何も変わりません。
もちろん、「清き一票」の集積が政権交代等につながるわけですが、だとしても全体の中の「超一部分」という感は拭えず、自分が参画することの直接的な意味や意義は見出しづらいと思います。
なので、私にとって社会を変える行動は仕事です。
自分の投票で社会を変えようとは露ほども考えていません。
もし、私が投票で社会を変えようと思うなら、政党をつくります。
または自分が立候補します。
いずれにせよ「戦略」が必要です。
それもなしに「自分の投票で社会を変えよう」と考えるのは、あまりにも現実的ではないと思います。
だからといって「無意味だから行かない」という考え方もいかがなものかと思います。
おそらく、こういう人は日常も同じような思考構造になっています。
自分がやるべきことをやっていないのに、何事も会社のせい、上司のせいにして「会社はどうせ変わらないよ」などとうそぶいているのです。
今回の選挙でも「ロクな候補者がいない」とか言っている人がいます。
「だったら、自分で出ろよ」というのが私の考えです。
まったく責任のない立場から評論家的に感想を述べ、しかも投票に行っていないとなれば「最高にみっともない」と思います。
一方、「自分は仕事等で社会貢献している。だから非効率な投票になど行かない」という人もいることでしょう。
それはそれでまったく問題ないと思いますが、私の考えは違います。
何故なら、それがリーダーの行動だとは思えないからです。
FBL大学の第1期生の方はわかると思いますが、リーダーの仕事とは「手本になること」です。
「投票に行くことが手本」とは思いませんが、「行かないことが手本ではない」とは言えます。
私は投票というのは「絶対に支配されてなるものか」という、超小さな自己表現だと思っています。
それで社会は変わらないとしても、自分への誇りは変わります。
だから、私は「リーダー」であるなら投票に行くべきだと思うのです。
*****************
▼FBL大学のホームページ
▼無料メルマガ「自分の人生のリーダーになろう!」のご登録はこちらから
▼有料メルマガ「思考変容のスイッチ」の詳細&ご登録はこちらから
▼私の初の出版本である「自分自身を取り戻せ!」のお申込みは上記ホームページから、下部の「書籍の販売」をクリックしてください。
▼遠藤一佳のフェイスブック
こんにちは。遠藤です。カラダに悪いとは思っていながらも、子どもが食べていた「暴君ハバネロ」にハマりそうでマズイです。
だって、人間だもの。。
さて、今日は参議院選挙の投票日です。
いつも通りに投票を済ませてきました。
で、これもまたいつも通りに私が投票した人は落選することでしょう(笑)
ところで、皆さまは投票へ行きましたか。
以前も書いたことがありますが、投票に行かなかった人は「行くべきだ」と思います。
その理由は「投票に行くのが国民の責任だから」・・ではありません。
はたまた「多くの人が投票に行かないと、既得権力が温存されるから」・・でもありません。
単純に「支配される癖がつくから」です。
たしかに自分が「清き一票」を投じたところで、世の中は何も変わりません。
投票という行為はあまりにも非効率で無意味です。
実際、私もそう考えたことがあります。
行っても行かなくても何も変わらないなと。
が、冷静に考えれば「自分の投票で社会を変えよう」と考えること自体がナンセンスだと思います。
例えば、仕事であれば「1/1の世界」ですから、結果に対して自分の行動の成果がストレートに反映されます。
一方、投票というのは「1/1億」といった世界です。
※正確にはもっと少ないでしょうが。
この存在感では何も変わりません。
もちろん、「清き一票」の集積が政権交代等につながるわけですが、だとしても全体の中の「超一部分」という感は拭えず、自分が参画することの直接的な意味や意義は見出しづらいと思います。
なので、私にとって社会を変える行動は仕事です。
自分の投票で社会を変えようとは露ほども考えていません。
もし、私が投票で社会を変えようと思うなら、政党をつくります。
または自分が立候補します。
いずれにせよ「戦略」が必要です。
それもなしに「自分の投票で社会を変えよう」と考えるのは、あまりにも現実的ではないと思います。
だからといって「無意味だから行かない」という考え方もいかがなものかと思います。
おそらく、こういう人は日常も同じような思考構造になっています。
自分がやるべきことをやっていないのに、何事も会社のせい、上司のせいにして「会社はどうせ変わらないよ」などとうそぶいているのです。
今回の選挙でも「ロクな候補者がいない」とか言っている人がいます。
「だったら、自分で出ろよ」というのが私の考えです。
まったく責任のない立場から評論家的に感想を述べ、しかも投票に行っていないとなれば「最高にみっともない」と思います。
一方、「自分は仕事等で社会貢献している。だから非効率な投票になど行かない」という人もいることでしょう。
それはそれでまったく問題ないと思いますが、私の考えは違います。
何故なら、それがリーダーの行動だとは思えないからです。
FBL大学の第1期生の方はわかると思いますが、リーダーの仕事とは「手本になること」です。
「投票に行くことが手本」とは思いませんが、「行かないことが手本ではない」とは言えます。
私は投票というのは「絶対に支配されてなるものか」という、超小さな自己表現だと思っています。
それで社会は変わらないとしても、自分への誇りは変わります。
だから、私は「リーダー」であるなら投票に行くべきだと思うのです。
*****************
▼FBL大学のホームページ
▼無料メルマガ「自分の人生のリーダーになろう!」のご登録はこちらから
▼有料メルマガ「思考変容のスイッチ」の詳細&ご登録はこちらから
▼私の初の出版本である「自分自身を取り戻せ!」のお申込みは上記ホームページから、下部の「書籍の販売」をクリックしてください。
▼遠藤一佳のフェイスブック
by fitnessbiz-01
| 2016-07-10 18:36