2016年 07月 28日
No.3245 7月28日(木):「イヤな奴」とつきあうな! |
こんにちは。遠藤です。木曜はプロフェッショナルトレーナー原田一志さんの「間違いだらけのフィットネストレーニング」のアップ日です。
是非、こちらからご覧ください。
さて、今日は今週のメルマガに書いたことの一部をシェアします。
私の「心の叫び」でございます。
それは「イヤな奴とつきあうな!」ということです。
「イヤな奴」という表現が「不適だ」と思われてしまうかもしれませんが、これは某書から引用しました。
そこにはもっと辛辣な表現がされています。
※後述します。
ちなみに著者は有名大学教授で、その論文は全世界で読まれている「ハーバード・ビジネス・レビュー誌」にも掲載されました。
組織に順応できない「批判屋さん」が書いたものではありません。
私はこれまで数多くの「イヤな奴」と出会ってきました。
子どもの頃や学生時代はもちろん、大人になってからもです。
むしろ、社会に出てからの方が「イヤな奴」は多いような気がします。
これまで年齢を重ねるごとに「なんで、こんなイヤな奴とつきあわなければならないのだろう」という思いを強くしてきました。
だって、身の周りには年々「いい奴」が増えていくのですから。
ならば、「いい奴」とだけ、つきあったらいいだけの話です。
「いい奴」とだけつきあうあうことを経験したら、「イヤな奴」とつきあうことが心の底からムダだと思えるようになります。
そう思えないのは「イヤな奴」と我慢してつきあっているからです。
もちろん、そんな「イヤな奴」にも仲間やついていく人がいたりします。
ということは、私にとって「イヤな奴」というだけで、他の人にとっては「いい奴」なのかもしれません。
そこで「イヤな奴の定義」が必要になってきます。
同書にはそれが定義されているのですが、私は拍手喝采してしまいました。
それが以下です(※青い字)。
基準1:「イヤな奴」と目されている人物と会話をかわしたあとで、標的となった人物が憂鬱になったり、屈辱を感じたり、やる気を失ったりするか?とくに重要なのは、標的となった人物が卑屈になるかどうか。
基準2:「イヤな奴」と目されている人物が悪意を向ける対象が、自分より力の弱い者であるか?
実は同書の原題で「イヤな奴」は「お尻の穴」、「野郎」、「クソッタレ」と意味づけされています。
私流に言わせていただくなら「クソ」です、ハイ。
で、この「イヤな奴(正しくは「クソ」)の最大の特徴は「部下スタッフが死んでいる」ということです。
元気がいいのは本人だけです。
それでも、死んでいる部下たち(という名の家来)は従うしかありません。
「イヤな奴」の教育の成果で、「その会社以外で食っていく能力がない」からです。
でもですね。
本来は「イヤな奴」のもとでは頑張れませんよ。
人間は「いい奴」、つまり、「好きな人」のためだから頑張れるんですよ。
夫婦間だって同じですね。
「イヤなパートナー」にためには頑張れないでしょう。
それなら離婚を選択して、新しい世界を創った方がいいわけですよ。
なのに、何故、仕事は我慢するのですかね?
人生は「好きな人」とだけ、つきあったらいいんです。
その方が毎日が楽しいでしょう、どう考えたって。
*****************
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それは「イヤな奴とつきあうな!」ということです。
「イヤな奴」という表現が「不適だ」と思われてしまうかもしれませんが、これは某書から引用しました。
そこにはもっと辛辣な表現がされています。
※後述します。
ちなみに著者は有名大学教授で、その論文は全世界で読まれている「ハーバード・ビジネス・レビュー誌」にも掲載されました。
組織に順応できない「批判屋さん」が書いたものではありません。
私はこれまで数多くの「イヤな奴」と出会ってきました。
子どもの頃や学生時代はもちろん、大人になってからもです。
むしろ、社会に出てからの方が「イヤな奴」は多いような気がします。
これまで年齢を重ねるごとに「なんで、こんなイヤな奴とつきあわなければならないのだろう」という思いを強くしてきました。
だって、身の周りには年々「いい奴」が増えていくのですから。
ならば、「いい奴」とだけ、つきあったらいいだけの話です。
「いい奴」とだけつきあうあうことを経験したら、「イヤな奴」とつきあうことが心の底からムダだと思えるようになります。
そう思えないのは「イヤな奴」と我慢してつきあっているからです。
もちろん、そんな「イヤな奴」にも仲間やついていく人がいたりします。
ということは、私にとって「イヤな奴」というだけで、他の人にとっては「いい奴」なのかもしれません。
そこで「イヤな奴の定義」が必要になってきます。
同書にはそれが定義されているのですが、私は拍手喝采してしまいました。
それが以下です(※青い字)。
基準1:「イヤな奴」と目されている人物と会話をかわしたあとで、標的となった人物が憂鬱になったり、屈辱を感じたり、やる気を失ったりするか?とくに重要なのは、標的となった人物が卑屈になるかどうか。
基準2:「イヤな奴」と目されている人物が悪意を向ける対象が、自分より力の弱い者であるか?
実は同書の原題で「イヤな奴」は「お尻の穴」、「野郎」、「クソッタレ」と意味づけされています。
私流に言わせていただくなら「クソ」です、ハイ。
で、この「イヤな奴(正しくは「クソ」)の最大の特徴は「部下スタッフが死んでいる」ということです。
元気がいいのは本人だけです。
それでも、死んでいる部下たち(という名の家来)は従うしかありません。
「イヤな奴」の教育の成果で、「その会社以外で食っていく能力がない」からです。
でもですね。
本来は「イヤな奴」のもとでは頑張れませんよ。
人間は「いい奴」、つまり、「好きな人」のためだから頑張れるんですよ。
夫婦間だって同じですね。
「イヤなパートナー」にためには頑張れないでしょう。
それなら離婚を選択して、新しい世界を創った方がいいわけですよ。
なのに、何故、仕事は我慢するのですかね?
人生は「好きな人」とだけ、つきあったらいいんです。
その方が毎日が楽しいでしょう、どう考えたって。
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by fitnessbiz-01
| 2016-07-28 19:05