2017年 06月 24日
No.3576 6月24日(土):「死」を意識して生きる |
※毎週土曜日は「学長に訊け!」です。
こんにちは。遠藤です。本日の「学長に訊け!」はお休みです。
さて、小林麻央さんの訃報に日本中が悲しみに包まれています。
この報道を受け、私が感じたことを。
小林麻央さんが昨年9月に開設されたブログの「第1回目」のタイトルは「なりたい自分になる」になっています。
そして、文中に「一度きりの人生なので、なりたい自分になろうと決意できた」と記されています。
これは「死を意識した人」の言葉だと思います。
誤解のないように補足しておくと「死を迎える人」ではありません。
こんにちは。遠藤です。本日の「学長に訊け!」はお休みです。
さて、小林麻央さんの訃報に日本中が悲しみに包まれています。
この報道を受け、私が感じたことを。
小林麻央さんが昨年9月に開設されたブログの「第1回目」のタイトルは「なりたい自分になる」になっています。
そして、文中に「一度きりの人生なので、なりたい自分になろうと決意できた」と記されています。
これは「死を意識した人」の言葉だと思います。
誤解のないように補足しておくと「死を迎える人」ではありません。
本ブログでもかなり前から述べてきましたが、私は「永遠に生きるつもりで学び、明日に死んでもいいつもりで生きる」という人生観を持っています。
※某書で学んだ考え方。
正直、「死生観」というのはよくわかりません。
が、「明日に死んでもいい生き方をしよう」とは思っています。
正確には「明日に死んでもいいと思える生き方に日々、近づいていこう」と思っています。
最近は真面目に「60歳くらいで死ぬつもりで生きた方がいいのかな」と考えるようになっています。
そうしたら、残りの日々をより悔いなく生きようとするはずだからです。
で、60歳まで生きられたら、そこでまた考えればいいと思っています。
そんな考えもあって、私は「死」を意識して生きた方がいいと思うし、上記のブログからも「死を意識した人」の強さや覚悟を感じるのです。
「なりたい自分になる」というのはフワフワした自己啓発の世界で多用される言葉です。
が、その本質は「死を意識して生きる」というところにあるのだと思います。
そういう意味で「死を意識した人の言葉だと思う」と記しました。
私は「前世」とか「生まれ変わり」を一切、信じていません。
私が存在するのは父親と母親が子どもをつくろうとしたからです。
それ例外に理由はありません。
そして、人は死んでいきます。
人間は死んだら燃やされて骨と灰になるだけです。
幾度も葬儀に出てきましたが、私がもっとも苦手とする瞬間です。
たまたま生を受け、最後は骨と灰になる。
これが人間の一生です。
だから、私は「人間の一生なんて、そもそも意味なんかないんじゃないか」と考えるのです。
所詮、意味などないのだから、自由に生きたらいいし、自分で意味づけしたらいいと思うのです。
なのに、ほぼ全国民は国や社会、会社によって「意味づけ」をされながら生きています。
大学を卒業したら就職するものだ、朝は9時に出勤するものだ、1日8時間働くものだ、週に2日休むものだ、契約社員より正社員のほうがいい、親や先生や上司の言うことは聞くものだ、などなどなどなどなど。
すべて国や社会、会社によってされた「意味づけ」です。
はたして、「あなたは1ヶ月後に死にます」といわれて、満員電車に乗って、たいして尊敬できない上司や同僚がいる職場に行き、指示や命令をされ、朝から晩まで仕事をする人がどれだけいるのでしょうか?
もし「そんなことはしない」のであれば、その人生は誰のため?何のためなのでしょうか?
「死ぬといわれたらやらないことをやっている」というのは「死にながら生きている」のと同じですよね。
私は「あなたは1ヶ月後に死にます」といわれても「OKです。今の生活を続けます」と言いたいです。
むしろ、「今の生活を強化します」って言いたいですね。
他者の死を見て感じるべきは、自分の人生観を見直すことだと私は思います。
※某書で学んだ考え方。
正直、「死生観」というのはよくわかりません。
が、「明日に死んでもいい生き方をしよう」とは思っています。
正確には「明日に死んでもいいと思える生き方に日々、近づいていこう」と思っています。
最近は真面目に「60歳くらいで死ぬつもりで生きた方がいいのかな」と考えるようになっています。
そうしたら、残りの日々をより悔いなく生きようとするはずだからです。
で、60歳まで生きられたら、そこでまた考えればいいと思っています。
そんな考えもあって、私は「死」を意識して生きた方がいいと思うし、上記のブログからも「死を意識した人」の強さや覚悟を感じるのです。
「なりたい自分になる」というのはフワフワした自己啓発の世界で多用される言葉です。
が、その本質は「死を意識して生きる」というところにあるのだと思います。
そういう意味で「死を意識した人の言葉だと思う」と記しました。
私は「前世」とか「生まれ変わり」を一切、信じていません。
私が存在するのは父親と母親が子どもをつくろうとしたからです。
それ例外に理由はありません。
そして、人は死んでいきます。
人間は死んだら燃やされて骨と灰になるだけです。
幾度も葬儀に出てきましたが、私がもっとも苦手とする瞬間です。
たまたま生を受け、最後は骨と灰になる。
これが人間の一生です。
だから、私は「人間の一生なんて、そもそも意味なんかないんじゃないか」と考えるのです。
所詮、意味などないのだから、自由に生きたらいいし、自分で意味づけしたらいいと思うのです。
なのに、ほぼ全国民は国や社会、会社によって「意味づけ」をされながら生きています。
大学を卒業したら就職するものだ、朝は9時に出勤するものだ、1日8時間働くものだ、週に2日休むものだ、契約社員より正社員のほうがいい、親や先生や上司の言うことは聞くものだ、などなどなどなどなど。
すべて国や社会、会社によってされた「意味づけ」です。
はたして、「あなたは1ヶ月後に死にます」といわれて、満員電車に乗って、たいして尊敬できない上司や同僚がいる職場に行き、指示や命令をされ、朝から晩まで仕事をする人がどれだけいるのでしょうか?
もし「そんなことはしない」のであれば、その人生は誰のため?何のためなのでしょうか?
「死ぬといわれたらやらないことをやっている」というのは「死にながら生きている」のと同じですよね。
私は「あなたは1ヶ月後に死にます」といわれても「OKです。今の生活を続けます」と言いたいです。
むしろ、「今の生活を強化します」って言いたいですね。
他者の死を見て感じるべきは、自分の人生観を見直すことだと私は思います。
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by fitnessbiz-01
| 2017-06-24 23:18