2018年 07月 06日
No.3953 7月6日(金):リーダーは「帰納的」に考える |
こんにちは。遠藤です。本日、金曜日はFBL大学のオンラインセミナーの公開日です。
第1週目は主に「自己成長力」に関する講座を提供しています。
※スタートコースにより異なります。
なお、ご案内メールが届かない方はメールアドレスを変更したとか、受信拒否設定になっているなどの原因があります。当方からはどうしようもできないので、該当されている方は自主改善をお願いします。
さて、昨日のブログの最後に記した「健康に良いことをするから健康になるのではなく、体調がいいという現実を実現するための方法を選択する能力が大切」という部分を補足します。
端折って言えば、「健康法」とか「健康理論」ではなく、「風邪もひかないし、病気もしないし、元気である」という「現実」の方が大切だということです。

この資料でよくわかると思うのですが、帰納的思考は「現実」に基づき、「演繹的思考」は「理論」や「前提」に基づきます。
つまり、「演繹的思考」の人というのは「これはこうですよ」「絶対に間違っていませんよ」という「理論」や「前提」が強力であるほど、行動しやすくなるわけです。
逆から言えば、「理論や前提がないと行動できない、何をすればいいのかわからない」ということです。
もちろん、「演繹的思考」が不要なわけではありません。
リーダーとフォロワーという視点で考えたときに、こういう傾向にあるということです。
ちなみに私は「演繹的思考」を使うことがほとんどありません。
理由は「確実性が低い」と感じるのと、何よりも「最初の前提(理論)」が正しくない場合、思考がどんどん間違った方向で強化されるからです。
身近でわかりやすいのが「白米議論」です。
肯定派と否定派が論争をしていますが、これは「白米はカラダにいい」「白米は身体に悪い」というガチガチの「前提」から議論がスタートしているから、「ああでもないこうでもない」となるのです。
帰納的に考えれば、「いいこともあるし、悪いこともある。わかっていないこともある。それをトータルで考えれば、おそらくこうだろう」となります。
すっかり補足説明が長くなりましたが、健康づくりも同じです。
「すこぶる体調がいい」という「現実」から、「現在の医科学で定説になっているこれこれが自分に合っているのだろう」と考え、捉えることが必要です。
「これは良い」とか「これは悪い」といった理論から入っても、それが結果につながる保証はありません。
大切なのは「現実」であり、そこから「因果」を発見することだと思います。
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さて、昨日のブログの最後に記した「健康に良いことをするから健康になるのではなく、体調がいいという現実を実現するための方法を選択する能力が大切」という部分を補足します。
端折って言えば、「健康法」とか「健康理論」ではなく、「風邪もひかないし、病気もしないし、元気である」という「現実」の方が大切だということです。
ちょうど私は本日、第1期の方に配信した「オンライン輪読会」の中で「リーダーは帰納的思考をし、フォロワーは演繹的思考をする」と説明しました。
その資料が以下です。

リーダーとは自分で決定する人で、フォロワーとは決定に従う人です。
この資料でよくわかると思うのですが、帰納的思考は「現実」に基づき、「演繹的思考」は「理論」や「前提」に基づきます。
つまり、「演繹的思考」の人というのは「これはこうですよ」「絶対に間違っていませんよ」という「理論」や「前提」が強力であるほど、行動しやすくなるわけです。
逆から言えば、「理論や前提がないと行動できない、何をすればいいのかわからない」ということです。
もちろん、「演繹的思考」が不要なわけではありません。
リーダーとフォロワーという視点で考えたときに、こういう傾向にあるということです。
ちなみに私は「演繹的思考」を使うことがほとんどありません。
理由は「確実性が低い」と感じるのと、何よりも「最初の前提(理論)」が正しくない場合、思考がどんどん間違った方向で強化されるからです。
身近でわかりやすいのが「白米議論」です。
肯定派と否定派が論争をしていますが、これは「白米はカラダにいい」「白米は身体に悪い」というガチガチの「前提」から議論がスタートしているから、「ああでもないこうでもない」となるのです。
帰納的に考えれば、「いいこともあるし、悪いこともある。わかっていないこともある。それをトータルで考えれば、おそらくこうだろう」となります。
私が重視する「メタ分析」も帰納的な考え方です。
つまり、「数多くの現実」を知っている人ほど「より正しい判断」ができることになります。
「この理論にはエビデンスがあります」なんて言っているのが、もっとも視野が狭い考え方です。
すっかり補足説明が長くなりましたが、健康づくりも同じです。
「すこぶる体調がいい」という「現実」から、「現在の医科学で定説になっているこれこれが自分に合っているのだろう」と考え、捉えることが必要です。
「これは良い」とか「これは悪い」といった理論から入っても、それが結果につながる保証はありません。
大切なのは「現実」であり、そこから「因果」を発見することだと思います。
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by fitnessbiz-01
| 2018-07-06 17:16