2018年 09月 14日
No.4023 9月14日(金):「人生」が第一で「健康」は第二 |
こんにちは。遠藤です。本日、金曜日はFBL大学のオンラインセミナーの公開日です。
第2週目は主に「ビジネス専門力」に関する講座を提供しています。
※スタートコースにより異なります。
なお、ご案内メールが届かない方はメールアドレスを変更したとか、受信拒否設定になっているなどの原因があります。当方からはどうしようもできないので、該当されている方は自主改善をお願いします。
また、「迷惑メール」へ振り分けられていないかもチェックをお願いします。
「お前ごときが教養が語るな!」といわれたらそれまでですが、その理論だと永久に語れないので、今の私が考えていることを伊藤さんとの対話を通じてアウトプットしています。
「教養」は「健康」に対しても強く求められます。
※「健康に関する教養」については、2018年8月10日に「0.05%と0.5%」というブログを書いたので、読んでいない方はこちらからお読みいただきたいです。
少し前のメルマガで書いたことですが、私は「健康第一」という言葉が嫌いです。
実際、過去4000回以上のブログでも「健康第一」という表現を肯定的に使ったことは一度もありません。
理由は様々ありますが、そのうちの1つに私の親族に一般的な基準からすれば「明らかに健康ではない人(明らかに不自由な人)」がいることが挙げられます。
その人の前で「健康が第一ですよね」とか言えるのかということです。
※なお、本人は自分が不自由だとは感じていません。念のため。
そんなこともあってか、私は「健康第一」とか「健康でなければ何もできない」という考え方が「無神経」に感じます。
それは「今、健康である人」が「今、健康であること」を誇示しているだけだと思います。
そのメルマガにも「人生第一・健康第二」というタイトルをつけました。
というようなことをメルマガに書いたら、FBL大学でともに学ぶ経営者の方から以下のメールをいただきました(※青い字)。
「生」がある以上、千差万別の健康状態、人生があるものだと思う。映画「ジョニーは戦場へ行った」を観た時の衝撃は忘れられない。戦争で両手足を失い、見ることも話す事もできないが、耳だけは聞こえる。心臓は動いていて脳も正常なのに誰も意識があると思っていない。軍病院で「肉の塊」として、半ば実験として生かされている。ジョニーから外に向けて発信できる手段は何一つない。それでもジョニーは人生を生きなければならない。自ら死ぬこともできない。実話だという。
私は映画を観ていませんが、「ジョニーは何を考えていたのですかね。何かを訴えようとしていたのか。それとも『殺してくれ!』と叫んでいたのか」という返信をしました。
その後、あらすじ(というかネタバレ)を調べてみると、この物語は様々なプロセスの結果、最後にジョニーが「『助けてくれ、殺してくれ、SOS!』と(モールス信号で)訴え続ける場面で幕を閉じる」とありました。
世の中には生きたくても生きられない人がいて、死にたくても死ねない人がいる。
一方で生きられるのに自ら命を絶つ人もいる。
もっと言えば、死んだも同然なのに生きている人もいる。
「健康」というのは、このような縦横無尽な価値観の中に浮いているものです。
それを「こうすれば健康になれる」などというのが「どれほど教養がないことか」ということです。
★2018年10月11日(木)、12日(金)に開催する「定例勉強会&懇親会」のご案内
・テーマ:「トレーナーが知っておくべきサプリメントの必須知識」
・時間:18時30分~20時45分(懇親会別途)
第2週目は主に「ビジネス専門力」に関する講座を提供しています。
※スタートコースにより異なります。
なお、ご案内メールが届かない方はメールアドレスを変更したとか、受信拒否設定になっているなどの原因があります。当方からはどうしようもできないので、該当されている方は自主改善をお願いします。
また、「迷惑メール」へ振り分けられていないかもチェックをお願いします。
さて、以下は本日公開した「対話」という講座です。
※いつもと違う撮影場所にて。
テーマは「教養」です。
「お前ごときが教養が語るな!」といわれたらそれまでですが、その理論だと永久に語れないので、今の私が考えていることを伊藤さんとの対話を通じてアウトプットしています。
「教養」は「健康」に対しても強く求められます。
※「健康に関する教養」については、2018年8月10日に「0.05%と0.5%」というブログを書いたので、読んでいない方はこちらからお読みいただきたいです。
少し前のメルマガで書いたことですが、私は「健康第一」という言葉が嫌いです。
実際、過去4000回以上のブログでも「健康第一」という表現を肯定的に使ったことは一度もありません。
理由は様々ありますが、そのうちの1つに私の親族に一般的な基準からすれば「明らかに健康ではない人(明らかに不自由な人)」がいることが挙げられます。
その人の前で「健康が第一ですよね」とか言えるのかということです。
※なお、本人は自分が不自由だとは感じていません。念のため。
そんなこともあってか、私は「健康第一」とか「健康でなければ何もできない」という考え方が「無神経」に感じます。
それは「今、健康である人」が「今、健康であること」を誇示しているだけだと思います。
そのメルマガにも「人生第一・健康第二」というタイトルをつけました。
各自にとって大切なのは運命的に与えられた人生をより良くしていくことであって、わざわざ「私は健康です」と自慢することではないと思うからです。
もちろん、より良い人生を送るには健康であることが望ましいですが、それが当たり前であるかのような考え方が受け入れられないのです。
というようなことをメルマガに書いたら、FBL大学でともに学ぶ経営者の方から以下のメールをいただきました(※青い字)。
「生」がある以上、千差万別の健康状態、人生があるものだと思う。映画「ジョニーは戦場へ行った」を観た時の衝撃は忘れられない。戦争で両手足を失い、見ることも話す事もできないが、耳だけは聞こえる。心臓は動いていて脳も正常なのに誰も意識があると思っていない。軍病院で「肉の塊」として、半ば実験として生かされている。ジョニーから外に向けて発信できる手段は何一つない。それでもジョニーは人生を生きなければならない。自ら死ぬこともできない。実話だという。
私は映画を観ていませんが、「ジョニーは何を考えていたのですかね。何かを訴えようとしていたのか。それとも『殺してくれ!』と叫んでいたのか」という返信をしました。
その後、あらすじ(というかネタバレ)を調べてみると、この物語は様々なプロセスの結果、最後にジョニーが「『助けてくれ、殺してくれ、SOS!』と(モールス信号で)訴え続ける場面で幕を閉じる」とありました。
世の中には生きたくても生きられない人がいて、死にたくても死ねない人がいる。
一方で生きられるのに自ら命を絶つ人もいる。
もっと言えば、死んだも同然なのに生きている人もいる。
「健康」というのは、このような縦横無尽な価値観の中に浮いているものです。
それを「こうすれば健康になれる」などというのが「どれほど教養がないことか」ということです。
★2018年10月11日(木)、12日(金)に開催する「定例勉強会&懇親会」のご案内
・テーマ:「トレーナーが知っておくべきサプリメントの必須知識」
・時間:18時30分~20時45分(懇親会別途)
※「勉強会&懇親会」の詳細&お申込みはこちらからお願いします。
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by fitnessbiz-01
| 2018-09-14 18:37