2019年 05月 14日
No.4265 5月14日(火):「経済的自立」の重要性 |
こんにちは。遠藤です。今日の東京は小雨がふったりやんだり。
長傘を持ち歩くのが嫌いなので、折りたたみ傘を忘れると残念な結果を生みます。
さて、今日は昨日の続きです。
一旦、話は逸れますが、今週のメルマガの「おすすめ本」に「自由の定義」が書いてありました。
「自由」というと、なにやら自己啓発系(ジコケイ)のようで気持ち悪い感じもしますが、その定義は明確でした。
それは「イヤなことをイヤと言えること」でした。
これは私の物事の捉え方と似ています。
私は「何かが好き」とか「何かをやる」ではなく、「嫌なことをやらないにはどうしたらいいか」を考えて行動を選択してきました。
「イヤなことをやる(やらされる)」ほどストレスを感じることはないと、私は思うからです。
が、現実を見れば、多くの人が「イヤなことをイヤと言えない」でいます。
「イヤなことをイヤと言えない」から、働く地域も、働く場所も、働く仲間も、働く立場(役職等)も、働く内容(担当業務)も、働くお金(給料)も、すべて会社に決められてしまうのです。
これを「不自由」といいます。
故に多くの人の心が病んでいくのだし、病んでいなくても元気も覇気もないし、つまらなそうな顔をしているのだと思います。
では何故、「イヤなことをイヤと言えないか」といえば、会社に依存して生きているからです。
会社に依存しなければならない最大の要因は「お金」です。
「依存しているかどうか」の簡単な見分け方は「会社がなくても生活が成り立つかどうか」です。
ここで昨日、述べた「経済的に自立できているのか否か」との関連性が出てきます。
組織にいてもこの条件をクリアしていれば、その人は「自由である(イヤなことが少ない)」といえます。
が、会社員の90%くらいの人たちは、会社がなければ生活が成立しないはずです。
だから、依存して生きるしか選択肢はありません。
こういう人たちを「サラリーマン(飼い社員)」といいます。
ちなみにその本には「サラリーマンは日本にしかいない絶滅危惧種だ」と書いてありました。
このような「絶滅危惧種的な働き方」を選択する人は、今後どんどん減っていくはずです。
そんな不自由な人生を望む若者はいないからです。
FBL大学はそれを先んじてやっているという自負があります。
読者の皆さまにも改めて「自由」について考えていただきたいと思います。
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by fitnessbiz-01
| 2019-05-14 18:50