2019年 05月 28日
No.4279 5月28日(火):中庸の「庸」の意味を知って歓喜した! |
こんにちは。遠藤です。それにしても月日が経つのが早い。
もうすぐ、私の思考のタイムリミットである夏至になってしまいます・・。
さて、昨日は「知識の錯覚に陥ってはいけない」と記しました。
この何がマズいかというと、物事のすべてを「自分は正しい」「自分は知っている」という視点から見るようになってしまうことです。
政治を見る目も、社会を見る目も、人を見る目も、すべて「自分が正しい」という視点から見るようになります。
これは「物事や相手の欠点に目がいくようになる」ということです。
私もこういう傾向にあるので、注意が必要だと自覚しています。
関連して、先日あるプロフェッショナルトレーナーの方が、日本のトレーナーの特徴を以下の2つに分類していたことに大きく頷きました。
それは「薄いか、偏っているか」というものです。
「その通りだ」と思ったので、すかさずメモりました。
まさに「知識の錯覚」です。
「薄いか、偏っているか」を別の表現にすれば「中庸ではない」ということになります。
「上っ面か、端っこか」ですから、完全に中心から外れています。
で、以下のことは別の機会に書こうと思っていたのですが・・。
「中庸」の「庸」には「平凡、なみ、つまらない」という意味があります。
「凡庸」という言葉があることからも、そのことはわかると思います。
が、論語で伝えられている「中庸の庸」は意味が違います。
「庸」には「糸巻きの芯棒」という意味と、「貫き通す」という意味が含まれています。
つまり、「中心的な価値(芯)で、一貫性を持って、(芯棒のように)人を引き寄せる」という意味です。
最近、このことを知って、私は歓喜しました。
まさに「私が目指している状態」です。
どれだけテクノロジーが進化しても、人間の原理原則は不変です。
だから、「中庸」には時代を問わない普遍的な力があるのです。
「知識の錯覚」についても「中庸」を意識していれば、陥りづらくなります。
少なくとも「薄いか、偏っているか」というゾーンには行かなくなるはずです。
当たり前ですが、「中庸」の「中」は、偏りや分裂がなく、固定されていないという意味です。
会社に固定され、独特の思想を強いられ、社内は実質分裂状態で、人を引き寄せる力も持たない多くのサラリーマン諸氏は「中庸」という言葉から何を感じるのか・・と思います。
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これは「物事や相手の欠点に目がいくようになる」ということです。
私もこういう傾向にあるので、注意が必要だと自覚しています。
関連して、先日あるプロフェッショナルトレーナーの方が、日本のトレーナーの特徴を以下の2つに分類していたことに大きく頷きました。
それは「薄いか、偏っているか」というものです。
「その通りだ」と思ったので、すかさずメモりました。
まさに「知識の錯覚」です。
「薄いか、偏っているか」を別の表現にすれば「中庸ではない」ということになります。
「上っ面か、端っこか」ですから、完全に中心から外れています。
で、以下のことは別の機会に書こうと思っていたのですが・・。
「中庸」の「庸」には「平凡、なみ、つまらない」という意味があります。
「凡庸」という言葉があることからも、そのことはわかると思います。
が、論語で伝えられている「中庸の庸」は意味が違います。
「庸」には「糸巻きの芯棒」という意味と、「貫き通す」という意味が含まれています。
つまり、「中心的な価値(芯)で、一貫性を持って、(芯棒のように)人を引き寄せる」という意味です。
最近、このことを知って、私は歓喜しました。
まさに「私が目指している状態」です。
どれだけテクノロジーが進化しても、人間の原理原則は不変です。
だから、「中庸」には時代を問わない普遍的な力があるのです。
「知識の錯覚」についても「中庸」を意識していれば、陥りづらくなります。
少なくとも「薄いか、偏っているか」というゾーンには行かなくなるはずです。
当たり前ですが、「中庸」の「中」は、偏りや分裂がなく、固定されていないという意味です。
会社に固定され、独特の思想を強いられ、社内は実質分裂状態で、人を引き寄せる力も持たない多くのサラリーマン諸氏は「中庸」という言葉から何を感じるのか・・と思います。
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by fitnessbiz-01
| 2019-05-28 17:38