2019年 08月 19日
No.4362 8月19日(月):「学習」という言葉の意味を初めて知った |
こんにちは。遠藤です。月曜日は有料メルマガ「思考変容のスイッチ」の配信日です。
★「思考変容のスイッチ」はこちらからお申込みください。登録料をいただくことでバックナンバーも読めるようにしています。
メールが届かない方はメールアドレスを変更したとか、受信拒否設定になっているなどの原因があります。当方からはどうしようもできないので、該当されている方は自主改善をお願いします。
また、「迷惑メール」へ振り分けられていないかもチェックをお願いします。
※特にGmail系。
今日はこれから東京勉強会です。
※その模様は明日に。
さて、月曜日はメルマガで取り上げた内容の「関連したこと」についてコメントします。
今回は「2019年8月19日の視点」より。
そこに私は「学習という言葉の意味を初めて知った」と記しました。
「学習」は「学+習」なので、多くの人が「学ぶこと」「習うこと」だと思っているはずです。
私も漠然とそう思っていました。
が、「学」は「学ぶ」でいいのですが、「習」は違うのです。
※諸説あるとは思いますが。
「習」は「習う」ではなく「習得する」という意味なのだそうです。
だから「学習(学んで習得する)」というのはとてもいい言葉なのだと。
先日、参加した講座で学んだのですが、「なるほどね~」と思いました。
以下は私見です。
ここでのポイントは「習得するとは何か」ということだと思います。
まずは「できるようになること」が当然です。
が、多くの人は「知っている」で終わっています。
知っていてもできなければ、学習したことにはなりません。
できるようになるには「実践」する必要があります。
正しいゴルフスイングを学んでも、実践しない限り、できるようにはなりません。
しかし、多くのクラブに「正しく実践する場」がありません。
自分の頭で考えることをせずに、ただ言われたことをやっているだけです。
これまた学習したことにはなりません。
続いて、実践したことは「結果」にする必要があります。
結果は望む結果も、望まぬ結果もあります。
もちろん、望む結果にすべきですが、仕事は思い通りにならないこともあります
「どうなるか実践しなければわからない」ということです。
望まぬ結果になったら、望む結果になるように手段を修正していけばいいだけのことです。
最後に。
多くの人が何故、望む結果を得たいのか。
それを一言で言えば、「収入を増やすため」だと思います。
「評価のため」という人もいるかもしれませんが、課長から部長に昇格して給料が上がらなくても、「評価された」と喜ぶのでしょうか。
そんなわけがありません。
日々、予算を追いかけ、良いサービスを提供しているのは「少しでも評価を上げ、少しでも収入を増やす」という側面が無視できないはずです。
であるならば、「学習する=収入を増やす(稼ぐ)」と言えないこともありません。
いくら学んだって「望む収入」を得ることができなければ、まったく楽しくないでしょう。
これを逆から言えば、固定給で、昇給額も僅かだから、サラリーマン諸氏は学ぶ意欲が起きないのだと思います。
年収を会社に決められているのであれば、「学ぶ必要はない」と私は思います。
言われたことだけをやっていればいいからです。
「学習したこと」は収入を増やすこと、稼ぐことに使っていくべきでしょう。
念のため言っておくと「カネのため」ではありません。
人生の選択肢を増やすため、楽しいことをたくさんするためです。
人生はこうやって豊かになっていくのだと思います。
*****************
▼FBL大学のホームページ
▼無料メルマガ「自分の人生のリーダーになろう!」のご登録はこちらから
▼有料メルマガ「思考変容のスイッチ」の詳細&ご登録はこちらから
▼私の初の出版本である「自分自身を取り戻せ!」のご購入はこちらから
▼遠藤一佳のフェイスブック
★「思考変容のスイッチ」はこちらからお申込みください。登録料をいただくことでバックナンバーも読めるようにしています。
メールが届かない方はメールアドレスを変更したとか、受信拒否設定になっているなどの原因があります。当方からはどうしようもできないので、該当されている方は自主改善をお願いします。
また、「迷惑メール」へ振り分けられていないかもチェックをお願いします。
※特にGmail系。
今日はこれから東京勉強会です。
※その模様は明日に。
さて、月曜日はメルマガで取り上げた内容の「関連したこと」についてコメントします。
今回は「2019年8月19日の視点」より。
そこに私は「学習という言葉の意味を初めて知った」と記しました。
「学習」は「学+習」なので、多くの人が「学ぶこと」「習うこと」だと思っているはずです。
私も漠然とそう思っていました。
が、「学」は「学ぶ」でいいのですが、「習」は違うのです。
※諸説あるとは思いますが。
「習」は「習う」ではなく「習得する」という意味なのだそうです。
だから「学習(学んで習得する)」というのはとてもいい言葉なのだと。
先日、参加した講座で学んだのですが、「なるほどね~」と思いました。
以下は私見です。
ここでのポイントは「習得するとは何か」ということだと思います。
まずは「できるようになること」が当然です。
が、多くの人は「知っている」で終わっています。
知っていてもできなければ、学習したことにはなりません。
できるようになるには「実践」する必要があります。
正しいゴルフスイングを学んでも、実践しない限り、できるようにはなりません。
しかし、多くのクラブに「正しく実践する場」がありません。
自分の頭で考えることをせずに、ただ言われたことをやっているだけです。
これまた学習したことにはなりません。
続いて、実践したことは「結果」にする必要があります。
結果は望む結果も、望まぬ結果もあります。
もちろん、望む結果にすべきですが、仕事は思い通りにならないこともあります
「どうなるか実践しなければわからない」ということです。
望まぬ結果になったら、望む結果になるように手段を修正していけばいいだけのことです。
最後に。
多くの人が何故、望む結果を得たいのか。
それを一言で言えば、「収入を増やすため」だと思います。
「評価のため」という人もいるかもしれませんが、課長から部長に昇格して給料が上がらなくても、「評価された」と喜ぶのでしょうか。
そんなわけがありません。
日々、予算を追いかけ、良いサービスを提供しているのは「少しでも評価を上げ、少しでも収入を増やす」という側面が無視できないはずです。
であるならば、「学習する=収入を増やす(稼ぐ)」と言えないこともありません。
いくら学んだって「望む収入」を得ることができなければ、まったく楽しくないでしょう。
これを逆から言えば、固定給で、昇給額も僅かだから、サラリーマン諸氏は学ぶ意欲が起きないのだと思います。
年収を会社に決められているのであれば、「学ぶ必要はない」と私は思います。
言われたことだけをやっていればいいからです。
「学習したこと」は収入を増やすこと、稼ぐことに使っていくべきでしょう。
念のため言っておくと「カネのため」ではありません。
人生の選択肢を増やすため、楽しいことをたくさんするためです。
人生はこうやって豊かになっていくのだと思います。
▼FBL大学のホームページ
▼無料メルマガ「自分の人生のリーダーになろう!」のご登録はこちらから
▼有料メルマガ「思考変容のスイッチ」の詳細&ご登録はこちらから
▼私の初の出版本である「自分自身を取り戻せ!」のご購入はこちらから
▼遠藤一佳のフェイスブック
by fitnessbiz-01
| 2019-08-19 17:12