2019年 12月 30日
No.4495 12月30日(月):「学べば則ち固ならず」 |
こんにちは。遠藤です。今日の新宿ミーティングで今年の対外的な仕事は終了。

思い出横丁名物の天玉そばで締めました。
※ピンぼけた。。

さて、昨日から明日までは今年の振り返り的なことを書いていきたいと思います。
※本日、有料メルマガ「思考変容のスイッチ」を配信しています。
私は人生をより良くしていくために「論語」を学んでおります。
孔子は「人間が如何に生きるべきか」を生涯追求した人物といわれています。
私は「人間が如何に楽しく生きるか」を追求したいと考えております。
その中で「ネンイチ」で納得した章句があります。
それが「学べば則ち固ならず」です。
当然、FBL大学の講座(FBLのための論語)の中でも紹介しています。
意味は「学べば独善、頑固でなくなる」ということです。
この章句は「学びの本質」を見事に突いています。
「学ぶ」ということは思考や考え方において多様性や柔軟性を受け入れられるようになることであり、偏りをなくすことです。
だから学べば学ぶほど、穏やかになっていくはずです。
しかし、多くの人、特に多くの専門家は真逆の方向に進んでいます。
学ぶことで独善的で、頑固になり「自分の正しさ」に固執するようになります。
が、「学べば則ち固ならず」に基づいて考えれば、それは「学び」とはいえません。
それは「思い込みの強化」です。
こうなると身の回りに自分の意見を肯定してくれる人が少なくなり、ますます「固」になっていくわけです。
※頑固老人と同じ。
昨今の世の中は寛容さに欠け、バカバカしいくらいに息苦しいと感じます。
それは「学んでいる人が少ない」ということの裏返しです。
先般、知人から相談を受けました。
「旦那のタバコをやめさせたい」と。
理由は「健康に悪いから」だという。
で、「そんな健康に悪いことを何故やっているのか」とガミガミ言っているという。
私はこう言いました。
「そうやってガミガミ言っていることの方が、よっぽど旦那の健康を害している」
まさに「木を見て森を見ず」。
私は人生をより良くしていくために「論語」を学んでおります。
孔子は「人間が如何に生きるべきか」を生涯追求した人物といわれています。
私は「人間が如何に楽しく生きるか」を追求したいと考えております。
その中で「ネンイチ」で納得した章句があります。
それが「学べば則ち固ならず」です。
当然、FBL大学の講座(FBLのための論語)の中でも紹介しています。
意味は「学べば独善、頑固でなくなる」ということです。
この章句は「学びの本質」を見事に突いています。
「学ぶ」ということは思考や考え方において多様性や柔軟性を受け入れられるようになることであり、偏りをなくすことです。
だから学べば学ぶほど、穏やかになっていくはずです。
しかし、多くの人、特に多くの専門家は真逆の方向に進んでいます。
学ぶことで独善的で、頑固になり「自分の正しさ」に固執するようになります。
が、「学べば則ち固ならず」に基づいて考えれば、それは「学び」とはいえません。
それは「思い込みの強化」です。
こうなると身の回りに自分の意見を肯定してくれる人が少なくなり、ますます「固」になっていくわけです。
※頑固老人と同じ。
昨今の世の中は寛容さに欠け、バカバカしいくらいに息苦しいと感じます。
それは「学んでいる人が少ない」ということの裏返しです。
先般、知人から相談を受けました。
「旦那のタバコをやめさせたい」と。
理由は「健康に悪いから」だという。
で、「そんな健康に悪いことを何故やっているのか」とガミガミ言っているという。
私はこう言いました。
「そうやってガミガミ言っていることの方が、よっぽど旦那の健康を害している」
まさに「木を見て森を見ず」。
by fitnessbiz-01
| 2019-12-30 17:28