2020年 08月 04日
No.4713 8月4日(火):世の中の「二律背反」を紐解いていくのがリーダーである |
こんにちは。遠藤です。火曜日のスモールジム協会の理事ブログは高橋さんです。是非、ご覧ください。
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さて、本日は昨日に配信したメルマガよりヒトネタ。
私はそこに「世の中の『二律背反』を紐解いていくのがリーダーである!」と書きました。
「二律背反」を辞書的に言うと「正命題と反命題のどちらにも証明できる矛盾・パラドックスのこと」となります。
要は「両方が成り立つことを認める」ということです。
常に言っていますが、世の中に「絶対に正しい」なんていうことはほとんどないわけであって、そういった矛盾をちょうどいいところに落とし込んでいくのがリーダーの仕事だと私は思っています。
しかし、自称専門家の中には「白黒をつけたがる人」がやたらといます。
「白と黒」というのは両極です。
「両極」の「極」とは「極端の極」です。
「極」に寄れば寄るほど「これが正しい(=それしか知らない)」という思い込みが強化されます。
これは理論ではありません。
「思い込み」という「感情」です。
「肉か野菜か」もそうですが、だから極端な人同士というのはもめ事や争いになるのです。
お互いに「自分が正しい」ということを証明しないと気が済まないのです。
そんなのは「どっちでもいいこと」なのに。
そんなことを考えていたら、ある方が私のことを自身のブログで評価してくださっていました。
かつて一緒に仕事をし、これからまた一緒にやるであろう人です。
ほぼ原文のまま紹介します(※過分な評価ですが・・)。
「遠藤さんはキャッシュとミッション、会議と現場サービス、共感と緊張、直観と論理、運と計画、右脳と左脳のような二律背反を紐解いていくようなバランス感覚を持っていて、本当に凄い人だなぁと私を唸らせるばかりでした」
これを昨日のメルマガで紹介したら「厳しさと優しさを忘れていました」というLINEが届いたのですが、これらは私にとって最高の褒め言葉です。
「中庸」という概念を使い出したのはここ数年ですが、「中庸」というのは「偏らない」ということであり「過不足がない」という意味です。
つまりこれは「二律背反を紐解いていくようなバランス感覚」と言い換えてもよいと思うのです。
物事に「白と黒」などありません。
学校教育で必要以上に「正解がある」とたたき込まれた私たちは何事に対しても「正解(白か黒か)」を求め、その正解(自分にとっての正しさ)を相手に押し込もうとします。
私はそうされるのが不快です。
「リーダーは偏ってはいけない」のですよ。
中庸的感覚がない人は自分より知識がない情報弱者を対象に信者をつくることはできても、リーダーとなるべき人たちに「良い影響力」を与えることはできません。
「論語(孔子)」の中心的概念の一つが「中庸」であることが、そのことをわかりやすく示していると思います。
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私はそこに「世の中の『二律背反』を紐解いていくのがリーダーである!」と書きました。
「二律背反」を辞書的に言うと「正命題と反命題のどちらにも証明できる矛盾・パラドックスのこと」となります。
要は「両方が成り立つことを認める」ということです。
常に言っていますが、世の中に「絶対に正しい」なんていうことはほとんどないわけであって、そういった矛盾をちょうどいいところに落とし込んでいくのがリーダーの仕事だと私は思っています。
しかし、自称専門家の中には「白黒をつけたがる人」がやたらといます。
「白と黒」というのは両極です。
「両極」の「極」とは「極端の極」です。
「極」に寄れば寄るほど「これが正しい(=それしか知らない)」という思い込みが強化されます。
これは理論ではありません。
「思い込み」という「感情」です。
「肉か野菜か」もそうですが、だから極端な人同士というのはもめ事や争いになるのです。
お互いに「自分が正しい」ということを証明しないと気が済まないのです。
そんなのは「どっちでもいいこと」なのに。
そんなことを考えていたら、ある方が私のことを自身のブログで評価してくださっていました。
かつて一緒に仕事をし、これからまた一緒にやるであろう人です。
ほぼ原文のまま紹介します(※過分な評価ですが・・)。
「遠藤さんはキャッシュとミッション、会議と現場サービス、共感と緊張、直観と論理、運と計画、右脳と左脳のような二律背反を紐解いていくようなバランス感覚を持っていて、本当に凄い人だなぁと私を唸らせるばかりでした」
これを昨日のメルマガで紹介したら「厳しさと優しさを忘れていました」というLINEが届いたのですが、これらは私にとって最高の褒め言葉です。
「中庸」という概念を使い出したのはここ数年ですが、「中庸」というのは「偏らない」ということであり「過不足がない」という意味です。
つまりこれは「二律背反を紐解いていくようなバランス感覚」と言い換えてもよいと思うのです。
物事に「白と黒」などありません。
学校教育で必要以上に「正解がある」とたたき込まれた私たちは何事に対しても「正解(白か黒か)」を求め、その正解(自分にとっての正しさ)を相手に押し込もうとします。
私はそうされるのが不快です。
「リーダーは偏ってはいけない」のですよ。
中庸的感覚がない人は自分より知識がない情報弱者を対象に信者をつくることはできても、リーダーとなるべき人たちに「良い影響力」を与えることはできません。
「論語(孔子)」の中心的概念の一つが「中庸」であることが、そのことをわかりやすく示していると思います。
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by fitnessbiz-01
| 2020-08-04 17:37