2018年 05月 05日
No.3891 5月5日(土):「どっちでもいい」があってもいい |
※毎週土曜日は「学長に訊け!」です。
こんにちは。遠藤です。今週も「学長に訊け!」はお休みです。
さて、昨日ですがFBL大学でともに学ぶ方から、「遠藤さんの講義を聴いて考えるのは『中庸』という言葉です」というコメントをいただきました。
少し前に「健康づくりは中庸です」というブログを書いたことや、前月末の講座で「低糖質、低脂肪ブーム」を否定したことが関係していると思います。
「中庸」を超ざっくり言えば「偏っていない」ということです。
ただし、(その方もコメントされていましたが)、それは平均値や中央値や「足して2で割る」ということではありません。
その人にとって「ちょうどいいポイント」ということです。
講座内でも触れたことですが、低糖質と低脂肪でいえば、低糖質にすべきなのは糖質を摂り過ぎている人で、低脂肪にすべきなのは脂質を摂り過ぎている人です。
それも、低糖質や低脂肪にする必要はなく、中糖質(普通糖質)であり中脂肪(普通脂肪)にすればいいだけのことです。
例えば、一昨日、「焼肉屋」に行ったと記しました。
そこで肉をたらふく食べました。
が、「肉は身体に悪い」という人がいます。
「牛が何を食べさせられているか、わからないから危険である」という理由です。
なので、それを信じて、魚を食べたとします。
すると、今度は「海が汚染しているから魚を食べるべきではない」という人がいます。
ついでにいうと、野菜も農薬まみれで危険だといいます。
あれもダメ、これもダメ。
わざわざダメな理由を探しているかのようです。
なんてつまらない人生なのかと思います。
「偏っている」というのは「多すぎる」とか「少なすぎる」ということです。
「身体に悪い」といわれる食品等も「多すぎる」から問題になるのであって、それ自体を過剰に敵視する必要はありません。
逆に「身体にいい」といわれる食品等でも「少なすぎる」のであれば問題になります。
こんにちは。遠藤です。今週も「学長に訊け!」はお休みです。
さて、昨日ですがFBL大学でともに学ぶ方から、「遠藤さんの講義を聴いて考えるのは『中庸』という言葉です」というコメントをいただきました。
少し前に「健康づくりは中庸です」というブログを書いたことや、前月末の講座で「低糖質、低脂肪ブーム」を否定したことが関係していると思います。
「中庸」を超ざっくり言えば「偏っていない」ということです。
ただし、(その方もコメントされていましたが)、それは平均値や中央値や「足して2で割る」ということではありません。
その人にとって「ちょうどいいポイント」ということです。
講座内でも触れたことですが、低糖質と低脂肪でいえば、低糖質にすべきなのは糖質を摂り過ぎている人で、低脂肪にすべきなのは脂質を摂り過ぎている人です。
それも、低糖質や低脂肪にする必要はなく、中糖質(普通糖質)であり中脂肪(普通脂肪)にすればいいだけのことです。
例えば、一昨日、「焼肉屋」に行ったと記しました。
そこで肉をたらふく食べました。
が、「肉は身体に悪い」という人がいます。
「牛が何を食べさせられているか、わからないから危険である」という理由です。
なので、それを信じて、魚を食べたとします。
すると、今度は「海が汚染しているから魚を食べるべきではない」という人がいます。
ついでにいうと、野菜も農薬まみれで危険だといいます。
あれもダメ、これもダメ。
わざわざダメな理由を探しているかのようです。
なんてつまらない人生なのかと思います。
「偏っている」というのは「多すぎる」とか「少なすぎる」ということです。
「身体に悪い」といわれる食品等も「多すぎる」から問題になるのであって、それ自体を過剰に敵視する必要はありません。
逆に「身体にいい」といわれる食品等でも「少なすぎる」のであれば問題になります。
だから「中庸」が必要なのです。
もっとも、物事を伝えるときに「あえて極端に振る」ということはあります。
が、あくまでもそれは「あえて」ですので。
心から信じてそうするのとは違います。
多くの人は「正解当て教育」の弊害で、AとかBとかを決めたがります。
が、「どっちでもいい」という概念があってもいいでしょう。
だって、わからないことは決められないし、決めてはいけないのだから。

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by fitnessbiz-01
| 2018-05-05 18:48