2019年 10月 24日
No.4428 10月24日(木):こんな「自己犠牲」はいらない |
こんにちは。遠藤です。木曜はプロフェッショナルトレーナー原田一志さんの「間違いだらけのフィットネストレーニング」のアップ日です。
是非、こちらからご覧ください。
さて、昨日は「自己犠牲なんていらない」と書きました。
今日は私がそう考える理由を述べたいと思います。
私はこれまで「自分一人では何もできない」と言い続けてきました。
何故かと言えば、「自分という存在はまわりの人が入ることによってのみ認められるから」です。
FBL大学では「無人島論」を展開していますが、無人島に行ったら自分のことは誰も認識をしてくれません。
従って、自分など「いないも同然」です。
自分は「社長」だと威張っている人は数多いですが、それは「社員」がいるからです。
「社員」が自分のことを「社長」と認識してくれるから「私は社長だ」と言えるのであって、無人島に行けば誰も認めてくれません。
このようなことから私は「自分という存在は相手の中にいる(相手の中で存在している)」と考えています。
ここに「自己犠牲」が必要ない理由があります。
ちなみにここでいう「自己犠牲」は「自分を押し殺す」という意味です。
自分という存在が相手の中にいると考えれば、自分のことを押し殺しているような人は、相手のことも押し殺すことにもなりかねないのです。
実際、過剰なまでに「相手のために尽くします」という考え方をしている人は、相手から面倒くさがれていることが少なくありません。
これは双方が疲弊していくという「ルーズ×ルーズ」の関係になります。
逆から言えば、だから「相手に与えること」が必要なのです。
「相手に与える」ということは、その中に自分がいると考えれば、自分にも与えていることになります。
よって「お互いに成長する」ということが起こります。
これは「与えたら与えられる」とう返報性を意味しているのではありません。
単純に「自分という存在は相手の中にいるのだから、相手に与えれば、自動的に自分にも与えたことになる」と言っているだけです。
「相手に与える」ためには自分を向上させていく努力が欠かせません。
これも自分が向上していけば、相手が向上していくことになります。
これが相手にも与え、自分にも与えるという「ギブ&ギブ」の図式です。
当たり前ですが、今、日本を賑わしているラグビー等で求められる「自己犠牲の精神」は上記の解釈とは異なります。
★10月20日(日)から30日(水)の期間で、FBL大学の「第13期スタートコース」のお申込み受付中です。現在、年2回の募集です。「検討中」の方は臆せず参画ください。
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従って、自分など「いないも同然」です。
自分は「社長」だと威張っている人は数多いですが、それは「社員」がいるからです。
「社員」が自分のことを「社長」と認識してくれるから「私は社長だ」と言えるのであって、無人島に行けば誰も認めてくれません。
このようなことから私は「自分という存在は相手の中にいる(相手の中で存在している)」と考えています。
ここに「自己犠牲」が必要ない理由があります。
ちなみにここでいう「自己犠牲」は「自分を押し殺す」という意味です。
自分という存在が相手の中にいると考えれば、自分のことを押し殺しているような人は、相手のことも押し殺すことにもなりかねないのです。
実際、過剰なまでに「相手のために尽くします」という考え方をしている人は、相手から面倒くさがれていることが少なくありません。
これは双方が疲弊していくという「ルーズ×ルーズ」の関係になります。
逆から言えば、だから「相手に与えること」が必要なのです。
「相手に与える」ということは、その中に自分がいると考えれば、自分にも与えていることになります。
よって「お互いに成長する」ということが起こります。
これは「与えたら与えられる」とう返報性を意味しているのではありません。
単純に「自分という存在は相手の中にいるのだから、相手に与えれば、自動的に自分にも与えたことになる」と言っているだけです。
「相手に与える」ためには自分を向上させていく努力が欠かせません。
これも自分が向上していけば、相手が向上していくことになります。
これが相手にも与え、自分にも与えるという「ギブ&ギブ」の図式です。
当たり前ですが、今、日本を賑わしているラグビー等で求められる「自己犠牲の精神」は上記の解釈とは異なります。
このあたりは、各自で解釈をしていただければと思います。
★10月20日(日)から30日(水)の期間で、FBL大学の「第13期スタートコース」のお申込み受付中です。現在、年2回の募集です。「検討中」の方は臆せず参画ください。
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by fitnessbiz-01
| 2019-10-24 18:04